【漁協よ永遠なれ】 第1回 特集ルポ 猿払村の奇跡は協同組合の精神だった

今、日本漁業は「変革」という大きな流れの中にいる。浜の活力再生プランや漁船リース事業などで、明るい兆しは見えてきているものの、いまだ取り巻く環境は厳しい。資源管理と海面の有効利用を柱とした水産政策の改革で、漁業者と漁村地域がいかに生き残っていくか、JFの存在意義がまさに問われている。生き残りを懸けた戦いに、われわれ漁業関係者が成すべきこととは―

【特集ルポ】猿払村の奇跡は協同組合の精神だった

JF猿払で漁獲されたホタテ

「貧乏を見たけりゃ猿払へ行け」と言われた猿払村が、村の平均所得で全国第3位になるほどの発展を遂げた。明治時代、ホタテで栄えた猿払村は、乱獲がたたり昭和30年代後半からは漁業として生業がたたないほどに落ち込んだ。その日の暮らしにも困窮していた漁業者は密漁で飢えをしのいだという。そんな北限の貧村がいかにして奇跡を成し遂げたのか――。

そこには、漁業協同組合を永続していくために欠かせない、協同組合の精神があった

JF猿払村本所

どん底にあえいでいた猿払村の漁業

日本最北の宗谷岬から車で約1時間、北海道で一番広い面積を有する猿払村は、漁業と酪農の村だ。特にホタテが有名で、全国における生産量の約1割を担っている。総務省が毎年公表する市町村税課税状況で近年、港区、千代田区に次いで全国第3位となったことで、有名になった。

しかし、かつてどん底の時代があった。漁業者は魚が捕れず明日の食べ物にも困り、貯金を下ろしたくても漁協にお金がなく、1週間待たされることもあるなど、漁業者も漁協もひどく貧しかった。明治後半から入植者がホタテ目当てで猿払村に入り、盛漁期には1200隻もの漁船が出漁していた。ホタテの生産量は増減を繰り返しながらも、昭和に入ってからは減る一方だった。ただ、ニシンやサケなど地先で魚が捕れていたので、漁業者はなんとか生きていけた。

「昭和38年ごろを境に、ニシンがまったく捕れなくなった」と振り返るのは、木村幸榮JF猿払村専務だ。「猿払村のどん底の時代でした」と目を伏せる。

木村幸榮JF猿払村専務

村の運命をかけた稚貝の大規模放流

それを救ったのが、太田金一元組合長だった。1961年、猿払村漁業協同組合の6代目組合長に就任。ちょうど同時期、北海道大学水産学部による漁場環境調査が行われた。そこで出た結論が「猿払沿岸域は世界有数のホタテ漁場である」ということだった。それまでも小規模に放流はしていた。ホタテ資源の枯渇が「乱獲」であることは、だれの目から見ても明白だったからだ。しかし、なかなか結果が出ない。一方で、拍車が掛かる村の過疎化に、役場も危機感を覚えていた。猿払を立て直すためには「ホタテの復活しかないのではないか」と、当時の村長である笠井勝雄氏は考えた。

猿払村漁協6代目組合長太田金一氏の肖像

太田氏と笠井氏の背中を押したのが、稚内水産試験場長(当時)の田中正午氏だった。「まくなら大量に」との言葉に、二人は大規模放流することを決めた。従来の数十万粒単位ではなく、1000万粒以上の放流が必要だった。反対意見も多かったが、2人は説得に奔走した。組合員は水揚げなどから天引きで積み立てていたが、到底足りなかった。村は3カ年計画でホタテの稚貝大規模放流を決断し、1年間の税収約4000万円の2分の1強を稚貝の購入費に充てた。

長年の大規模放流で天然物も漁獲されるように

噴火湾の虻田漁協(現・JFいぶり噴火湾)の協力を得て稚貝を購入し1971年、1400万粒を放流。翌年、翌々年と6000万粒を放流し、74年、3年貝が1674トン水揚げされた。まったく捕れなかった63年以降初めての水揚げだった。ホタテが村の危機を救った瞬間だった。

その後もヒトデの駆除といった漁場管理など努力を続け、今では年間2億5000万粒を放流し、水揚げも4万トンを超えている。

いさりの碑

「奇跡」ではなく、協同組合の精神がそこにあった

大規模放流とともに取り組まれたのが、ホタテ共同企業体だった。いわゆるプール制を導入した。それまで個人経営だった組合員からは当然のように反対意見が上がった。でも、太田氏の説得によって、皆納得した。病気や故障などで操業できないときもある。「お互いさま」の気持ちで続けているうちに、今では当たり前のようになったという。

「みんなで稚貝をまいて育て、みんなで捕って、みんなで分ける」――奇跡ではなく、まさに協同組合の精神がそこにある。

太田氏が組合長に就任した時の組合員数はわずか68人。設立時の378人から300人以上が離村していった。今は260人になり、平均年齢は48 歳。

総務省の国勢調査によると1955年、8871人だった村の総人口は70 年、4818人まで激減した。しかし翌71年、ホタテの稚貝大規模放流が始まると、緩やかな減少に変わり、2019年8月現在、2769人となっている。

たくさんの漁船が出港していく猿払漁港

木村専務は語る。「村の出生率は2・3倍。人口が減らないということは、第一次産業がしっかりしている証拠」。ホタテの生産が安定しているから、若い漁業者たちも安心して家族を増やすことができる。

今、JF猿払村では毎年ホタテ30枚を村民全員に配布する。「これまでの恩返し。村の職員とJFの職員が玄関先まで持って行きます」と木村専務。

太田氏の運転手を10年間以上勤めた木村専務は、太田氏から「稚貝は1粒たりとも無駄にするな」と厳しく教えられた。「うまく手を掛けてあげれば、ちゃんと生産できる。それがわれわれの役目だ」と。

 

次回:沿岸漁業の本質的性格と漁協の存在意義 鹿児島大学水産学部教授 佐野雅昭 氏 寄稿

  • JF全漁連編集部

    漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebook

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