【漁協よ永遠なれ】第4回 漁協と女性

漁協と女性 寄稿:関いずみ(海と暮らし研究所代表・東海大学海洋学部教授)

はじめに

漁業協同組合は地域の水産資源を管理し、またその利用を調整しながら地域社会の相互扶助や共生のシステムを創り上げてきた。しかし、このたびの水産政策の改革では、これまで漁協が担ってきた役割の大部分が変更され、その存在意義が問われ始めている。それは、漁村コミュニティーの解体をも意味する深刻な事態であり、漁業・水産業関係者や識者の多くが、さまざまな場で警鐘を鳴らしている。

「漁業・漁村の生き残りを懸け、われわれがなすべきこととは――」という重いテーマに答える自信はない。しかし、多様な意見を出し合っていくことが大切だと考えるので、漁協と女性、という視点から述べてみたいと思う。

男女共同参画と漁協

男女共同参画という言葉は、 1991年に初めて公の場で使われ、 1999年に「男女共同参画社会基本法」の公布によって、日本社会の中に浸透していった。

言うまでもないが、男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成すること」(男女共同参画社会基本法第二条)である。しかし現実はどうだろう。例えば漁協の役員に占める女性の割合はたった0.5%(2018年)。

農協の7.7%と比べても、あまりに低い割合だ。もちろん、女性役員の割合のみで単純に判断することはできないが、これでは男女が漁業の対等な構成員として認識されているとは言えないのではないだろうか。

ある農協の事例

JA静岡市の女性部販売所「アグリロード美和」の代表を務める海野フミ子さんは、1995年に女性部の役員となり、勉強会の実施や直販所の前身である朝市の開催を進めてきた。当時農協から、農家の女性が直販をやってもうまくいくわけがない、と反対されながらも加工室を作り、農協の直販所のテナントを借り、さらにはAコープの空き店舗に移り、仲間と共に事業を広げてきた。単にお金もうけだけではなく、地域の農業や採れる野菜のことを消費者に知ってもらうために、遊休農地を活用して消費者と共に大豆の種まきから収穫、その大豆を使った味噌づくりなどの活動にも力を入れている。

2000年に静岡市農協女性部の部長となった海野さんは、女性として初めて農協の総代会にオブザーバーとして出席できることになった。その時海野さんは、農業は半分以上女性が担っているのに、総代会に全く女性がいないことに危機感を感じたという。女性の総代を入れるためには、その人数分の男性に退いてもらわなければならない。海野さんが奔走した結果、2002年に502人の総代の内20%が女性となった。2017年には自身が農協の理事に就任し、その後、徐々に女性理事も増やしてきた。そんな海野さんが頑張ってもなかなかできないことの一つが、海野さんの農協に女性の管理職を定着させることなのだという。

これからの漁協と女性

静岡県下では、女性職員を漁協直営の食堂の店長や、加工商品開発のリーダーに抜擢する漁協が出てきている。彼女たちは試行錯誤しながら仕事に取り組み、一人でやりきれないところは周囲を巻き込み仲間を作り、成果を出してきた。これらの事例は、漁協の新たな事業をどう動かしていくか、という点からも注目される。女性や若者を責任ある立場に就けること、意思決定の立場に登用していくことは、より幅広い意見や新たなアイディアを生み出していくことにつながっていく。このことは、漁協の起死回生を図っていくためにも重要なことではないだろうか。

次回:日本漁業の新時代における漁協運動の展開方向 東京海洋大学海洋政策文化学部門准教授 工藤貴史 氏 寄稿

  • JF全漁連編集部

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