開発によって激減した「桑名のハマグリ」を守る —JF赤須賀による資源回復の取り組み―

写真提供:JF赤須賀

漁獲量が激減した桑名のハマグリ

三重県桑名市赤須賀地域は揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川が伊勢湾に流れ込む河口域に位置しています。

木曽三川は豊富な栄養分を運んでくるため、赤須賀地域はハマグリ、ヤマトシジミ、シラウオなどが水揚げされてきました。なかでもハマグリは、江戸時代の歴代将軍に献上されたり、江戸時代後期の戯作者、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に紹介されたりするなど、桑名の特産品として古くから全国に知られていました。そんな策略にはひっかからないという意味の「その手は桑名(食わな)の焼きハマグリ」というフレーズはこの地域のハマグリのことです。

赤須賀漁業協同組合(JF赤須賀)は三重県産ハマグリのほとんどを水揚げしており、昭和40年代(1965~74年)の漁獲量は年間2~3千トンと、全国でも屈指の漁獲量を誇っていました。

しかし、開発に伴う干拓や地盤沈下による干潟の消失などによって1970年代後半から80年代前半にかけて漁獲量は急激に減少するようになりました。そして長良川河口堰の本格的な運用がスタートした1995年の漁獲量は0.8トンと過去最低を記録しました。

「このままでは桑名の漁業が消滅してしまう」と危機感を抱いたJF赤須賀の組合員は人工種苗生産、稚貝放流、干潟の造成・保全などに取り組み、2012年には200トンにまで回復しました。

今回は、JF赤須賀によるハマグリ資源の回復に向けた取り組みを紹介します。

半世紀にわたる資源回復の道のり

ハマグリの漁獲量が激減した1970年代半ば、JF赤須賀は三重県や桑名市と対策を協議し、ハマグリの種苗生産研究をスタートしました。

まず76年と77年にハマグリの人工稚貝技術開発を的矢湾養蠣(まとやわんようれい)研究所に委託しました。この技術開発が成功したことから、漁協内では研究会を組織しました。77年には幼生の飼育、78年からは人工授精から稚貝の生産まで取り組みました。

この一連の取り組みで中心的な役割を担ったのが、後に組合長となる秋田清音さんでした。

稚貝生産は試行錯誤の連続だったそうですが、エサとなる植物プランクトンを育てることができるようになったことから大量生産の目途が立ちました。1990年には桑名市福岡町に赤須賀漁協ハマグリ種苗生産施設を整備し、稚貝生産が実用化するようになりました。

人口種苗ハマグリの成長記録(1995年11月~97年9月)

一方、1980~90年代は長良川河口堰建設反対運動が注目された時期でした。河口堰が建設されると多くの漁場が失われることとなり、漁業が立ち行かなくなります。

そこでJF赤須賀を含む桑名地区の5つの漁協が加入する桑名漁業協同組合連合会は、河口堰建設に伴う漁業補償を活用し、人工干潟を桑名市城南沖(93年完成)と長島町浦安沖(94年完成)に造成しました。この人工干潟の砂は、長良川河口堰建設の際に河床を掘り起こした浚渫砂が用いられました。人工干潟が完成したことを受け、稚貝放流は、人工干潟で集中的に行うことにしました。

このように人工種苗生産と人工干潟の造成が、開発によって消滅の危機に瀕した桑名のハマグリと漁業を存続させることになりました。

建設反対運動で注目を集めた長良川河口堰

2012年にハマグリ漁獲量200トンを回復

人工干潟が完成しましたが、生物はすぐに人工干潟にすみつくことはありません。
JF赤須賀の組合長、水谷隆行さんは「砂を入れるだけではなく、干潟に澪ができたり、山ができたりというように地形が形成されないと生物はすみつかない」と言います。

JF赤須賀組合長の水谷隆行さん

ハマグリの漁獲量は1990年代後半から2000年代半ばにかけて100トン以下でした。しかし、人工干潟の地形が年月をかけて変化することで漁獲量は徐々に増加しました。2012年からは200トンが漁獲されるようになるまで回復しました。

現在のJF赤須賀のハマグリ漁は「ウンテン」と呼ばれる貝桁網で漁獲します。出漁は週3日、漁獲量は1日1人当たり15㎏までに制限しています。漁獲したハマグリは篩(ふるい)にかけ、大きさを選別します。その際、殻長3㎝以下のハマグリは再放流します。

「ウンテン」と呼ばれる貝桁網を引き上げる様子(写真提供:JF赤須賀)
網を引き上げる様子(写真提供:JF赤須賀)

競りは11時半に開催されます。入札は木札の裏にチョークで入札価格を書き、一番高い価格を付けた業者が競り落とします。JF赤須賀の漁業者の多くはシジミ漁やシラウオ漁(漁期は1月初頭から4月)なども行っており、筆者が訪問した3月下旬はシラウオの競りが行われていました。地元では「紅梅煮」(しぐれ煮)が春の味覚となっています。

競りの様子

地域の人々との交流に力を入れるJF赤須賀

JF赤須賀では、地域の人々との交流に力を入れています。その理由は赤須賀地域の漁業を次世代に残していくためには、地域の人々の理解と協力が不可欠であると考えているからです。交流の具体的な取り組みとしては、桑名市内のすべての小学校への給食用のシジミの提供や、社会見学の積極的な受け入れなどです。

また毎年、地域の人々にシジミ汁や焼きハマグリの提供、シジミ漁見学体験などを実施する「赤須賀漁業まつり」に加え、桑名市内の小学生のほか、木曽三川の上流にある岐阜県東白川村の小学生を赤須賀地域に招待し、「干潟観察会」も実施しています。干潟観察会ではハマグリだけでなく、カニやエビなどさまざまな海の生物に直接触れることができるため、あちらこちらで大きな歓声が上がるそうです。さらにJF赤須賀では、桑名市内の小学生とともに岐阜県で植樹活動も行っています。

これらの活動はJF赤須賀青壮年部研究会を中心に行っています。同研究会副会長の田木優さんは「地元の子どもたちに漁協の取り組みや漁業を覚えていてほしい」と話します。

JF赤須賀青壮年部研究会副会長の田木優さん

一時期は開発によって漁獲量が激減したハマグリですが、現在は資源量が回復しつつあります。

その一方で2008年に徳山ダム(岐阜県揖斐川町)が開業するようになると、程なくしてシジミの漁獲量が激減するようになりました。

理由の1つはシジミの生存に必要な砂が供給されなくなったからだと考えられます。堤防補強の一環で砂を投入することにより、一時的にシジミの漁獲量は若干増加しましたが、根本的な解決策にはなっていません。

高度成長期以降、木曽三川流域は大幅な開発に見舞われ、工場や商業施設などが立ち並ぶ湾岸都市へと変貌を遂げました。その一方でさまざまな生物が絶滅、または絶滅の危機に瀕することになったのも事実です。開発はその経済性や利便性が強調されますが、失ったもの、失われつつあるものについてはほとんど議論されません。

桑名のハマグリはJF赤須賀の組合員が半世紀にわたって回復に取り組んできた事例ですが、我々はかけがえのない生物を後世に残していくために、どのような方策で回復していくのかを真剣に考えていかなければなりません。

  • 古江晋也(ふるえ しんや)

    株式会社農林中金総合研究所調査第二部主任研究員。   専門は地域金融機関の経営戦略の研究ですが、国産食材を生産し続ける人々と、その人々を懸命に支え続ける組織の取材も行っています。 四季折々の「旬のもの」「地のもの」を頂くということは、私たちの健康を維持するだけでなく、地域経済や伝統文化を守り続けることでもあります。   現在、輸入食材はかつてないほど増加していますが、地球温暖化や自然災害が世界的な脅威となる中、農水産物の輸入がある日突然、途絶える可能性も否定できません。 豊かな日本の国土や自然を今一度見つめ直し、今一度、農水産物の生産者や生産を支える組織の人々の声に耳を傾けたいと思います。   ▶農林中金総合研究所研究員紹介ページ 著書:『地域金融機関のCSR戦略』(2011年、新評論)

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