特集・3.11 【特集3.11】第4回「復興を牽引し未来を開くみやぎ銀ざけ振興協議会のみやぎサーモン」寄稿:新美貴資 2020.3.9 新美 貴資(にいみ たかし) 印刷する みやぎサーモンの刺身(写真:みやぎ銀ざけ振興協議会提供)東日本を襲った2011年3月の大震災から間もなく9年がたつ。 東北の沿岸は、多くの尊い人命が失われ、壊滅的な被害に見舞われた。地域の基幹産業である漁業が存亡の機に立たされる中、宮城県では関係者が一丸となり、復興への取り組みを進めてきた。 中でも県を代表する水産物の一つであるギンザケは、いち早く生産が軌道に乗り、地域ブランドの「みやぎサーモン」が確立される。大きな期待を受けて、宮城の水産は再び立ち上がる。 震災の翌年に生産を再開石巻市内にあるJFみやぎ。みやぎ銀ざけ振興協議会の事務局を担う親潮と黒潮がぶつかる、豊かな漁場に恵まれた宮城県。3月から7月にかけて水揚げされ、初夏に出荷の最盛期を迎えるギンザケの養殖は、1975年に志津川湾で始まった。現在、県内では約60の経営体が石巻市、女川町、南三陸町で営んでいる。生産量は国内の約8割を占め、ノリ、カキ、ワカメ、ホタテなどと並ぶ重要な養殖対象種となっている。 それが東日本大震災によって、漁船や漁港、海の養殖施設、陸の作業場などほとんど全てを失ってしまう。「あの状態を見たら、もう終わったと思いました」。被災時に石巻市雄勝町内の支所にいた、JFみやぎの経済事業部経済事業一班の班長代理である山下貴司さんは、当時の惨状を思い出す。 被災の混乱と情報の錯そうが続く中、JFは復興対策室を設け、漁船や関連施設の復旧、がれきの処理などの対応に当たる。生産者が再起できるよう、一刻も早く海を震災前の状態に戻す。この課せられた使命を果たすため、崩壊した浜と国や県などの間に立ち、JF全漁連などと協力しながらあらゆる支援策を講じ、全職員が奔走した。 生産者の懸命な努力が実り、震災の翌2012年には、わずかではあるが奇跡的にギンザケの生産再開にこぎつける。宮城や岩手県の山間部にある、稚魚の養魚場が無傷で残っていたことも幸いした。 落ち込む経営に危機感 ブランド化を目指す3月から7月にかけて水揚げされる(写真:みやぎ銀ざけ振興協議会提供)それでも復興の1、2年目、養殖の経営は大きく落ち込む。「通常だったら廃業。3年目の体力はないくらいの赤字だった。国の『がんばる養殖復興支援事業』による補てんがあったから助かった」と、同JF経済事業一班の班長・齋藤幸夫さんは振り返る。 この事業は、被災した地域の養殖業の復興を目指し、共同化による生産の早期再開をするために必要な経費を助成するもので、認定を受けた漁業者は、事前に事業費を受け取ることができ救われた。 県内初のGI制度登録新鮮な刺し身で食べられるみやぎサーモン(写真:みやぎ銀ざけ振興協議会提供)味や品質が大きく向上する協議会は、16年3月にGI制度への登録を申請。翌17年5月、地域の活性化や伝統的な食文化の継承、輸出の促進などを目的とする同制度に、みやぎサーモンは県内で初めて登録される。 「生産工程管理業務規程」を定め、順守した中で作られるブランドは、 ①生け締めや神経締めの鮮度処理を施した「新鮮で刺し身で食べられる」高品質・高鮮度の生食用②EP飼料を100%使って飼育したもの ――を要件としている。 当時は、国内サーモンのブランドがまだなく、みやぎサーモンはその先駆けとして注目を集めた。協議会事務局を担当する山下さんは「餌が変わり、味や品質が大きく向上した」と話す。 ギンザケ養殖発祥の地で生まれたブランドは、販路の回復から拡大、魚価の安定にも寄与した。 復旧・復興と販売事業の再構築を図る中で、養殖の経営や生産物の品質に対する生産者の意識も大きく変わった。 協議会ではJFみやぎ、JA全農、東北大学の協力を得て、県産の飼料用米を配合した、水産では初となる養殖向けの餌を開発するなど、付加価値を向上させる取り組みを続け、揺るぎないブランドの地歩を固めている。 今後は、県内で生産しているギンザケ全体に占めるみやぎサーモンの割合を、現在の3割からもっと高めていく。「まだまだ需要は期待できる」(齋藤さん)ことから、国内だけでなく、海外への消費拡大にもさらに力を入れていく方針だ。 地元の復興を牽引し、漁業の未来を開く。大きな可能性を持つみやぎサーモンのこれからに注目したい。 プライドフィッシュ東北新美 貴資(にいみ たかし)水産専門出版社の株式会社水産社(東京都)に入社。「水産週報」(毎月3回発行)の記者として、漁業・水産分野の行政、企業、団体など取材。「水産年鑑」「水産小六法」「水産業協同組合法の解説」など編集、特集企画や広告営業も行う。時事通信社の記者時代(編集局水産部配属)も含め、約8年水産専門紙記者として活動。平成19年に名古屋に戻り、漁業や水産業など「食と魚」の分野を中心にフリーライターとして取材を継続。平成21年に始まったポータルサイト「goo」内のコーナー「環境goo」にて「食のグッドニュース」に記事を提供(現在は終了)。現在は、東海エリアを中心に漁業や漁村、魚食、地産地消などをテーマに取材、長良川のWEBマガジン「長良川story」(http://nagaragawastory.jp/)でお魚ライターとして「長良川おさかな帖」を連載中。その他、ネット媒体(NPOドゥチュウブの中部を動かすポータルサイト、http://dochubu.com/)や水産専門紙(日本養殖新聞)などに寄稿し、取材、執筆を行っている。名古屋市在住。 【略歴】 ○昭和48年愛知県名古屋市生まれ。44歳。 ○愛知県立天白高等学校卒業。 ○長崎大学水産学部漁業科学系卒業。(水族生理学研究室でタイラギの病変組織を研究) 【関心あるテーマ】 農林漁業、農山漁村、魚食、職人仕事、伝統文化、地域振興など 【所属】 NPOドゥチュウブ編集員(事務局:名古屋市) 水産ジャーナリストの会会員(事務局:東京都) 農政ジャーナリストの会会員(事務局:東京都)このライターの記事をもっと読む
【特集3.11】第3回「外部との交流によるJFひろた湾とNPO法人SETの取組」寄稿:大浦佳代震災後、復興や支援の名の下、漁村にも多くの人、物、事業が入り、その刺激はさまざまな変化をもたらした。 「奇跡の一本松」で一躍知られた岩手県陸前高田市で、まず、ひろた湾漁業協同組合(以下、JFひろた湾)2020.3.6特集・3.11大浦 佳代(おおうら かよ)
漁師中心のボランティア組織が人命を救う―海難事故における漁協と漁師が果たす役割―(徳島県・JF椿泊)国内で起きた海難事故の大部分は、漁師を中心とするボランティア組織の「水難救済会」によって救助される。この事実は一般的にあまり知られていない。 漁業・漁村の果たす役割の一つである「国民の生命・財産の保全2021.3.12特集・3.11JF全漁連編集部
【特集3.11】東日本大震災からの真の復興に向けて東日本大震災の発生から9年。 津波等で大きな被害を受けた東日本沿岸域の漁業関係者は、試行錯誤をしながら復興に向けた取り組みを、日々、続けています。 漁港や市場、水揚げ施設などの復旧はほぼ終わったものの2020.3.4特集・3.11JF全漁連編集部
【特集3.11から10年】(まとめ)自然災害と漁業の持続性―今伝えるべき漁村のちから恵みをもたらすはずの海は、ときに私たちに猛威を振るう。 10年前、その現実を突きつけられた私たちは、その後も自然の怖さを目の当たりにしています。 3.11以降も、地震、爆弾低気圧や豪雨、台風など自然災2021.3.25特集・3.11JF全漁連編集部
【特集3.11】あの日を忘れない―Sakanadia編集部員の3.11—こんにちは。Sakanadia編集部員です。 少しずつ桜の咲く季節に向かっていますね。 そして、2011年3月11日の東日本大震災から今日で11年がたちました。皆さんはどのような気持ちでこの日を迎えら2022.3.11特集・3.11JF全漁連編集部
「仲間がいたから立ち上がれた」――災害時に力を発揮したJF女性部の活動(岩手県・JF釜石東部女性部)「津波ですべてを失ったどん底で、『もう1回やろう!』と思えたのは、女性部の活動と仲間のおかげです」。岩手県釜石市の釜石東部漁業協同組合(以下、JF釜石東部)女性部長、前川良子さんは10年前の“あの頃”2021.3.11特集・3.11大浦 佳代(おおうら かよ)