職住一体の「まちづくり」(前編)—事前復興計画という考え方—

地域住民不在の復興|目に見えるカタチ・見えないカタチ

にほんの⾥100 選にも選ばれている漁村の⾵景(三重県尾鷲市須賀利町)

漁村は⾃然と向き合いながら⽴地し、地形、⽣業、社会構造がダイレクトに呼応しながら⽬に⾒えるカタチで⼒強く存在する。
また、⾃然と⼈為の折り合いの中で、そこに住む⼈々の⻑い時間の営みの集積により創り出された地域固有の祭祀や習慣・慣習など、⽬に⾒えないカタチで地域の⽂脈が継承されている。

私たちは、これら可視・不可視の相互浸透的な総体のカタチとして漁村が成⽴していることに魅了され続けている。

東⽇本⼤震災から10 年間の復興過程は、⽬に⾒えるカタチを信じてきた私たち建築・都市計画に関わる「計画者」に対し、ある意味での無⼒感を突きつけた。
それは、多くの漁村の復興過程において、⽬に⾒えない⼤切なカタチと主体(地域住⺠)不在のまま復興が進まざるを得なかった側⾯を感じているからである。

「事前復興計画・まちづくり」で先を見据える

事前復興計画・まちづくり(案)の⼀部(和歌⼭県広川町)

私たちは、復興過程における東北のこれまでを含めた「今」を検証しながら、来たるべき南海トラフの災害に向けて、漁村の復興計画を地域住⺠と事前に考えておく「事前復興計画・まちづくり」を進めていく必要があると感じている。

「事前復興計画・まちづくり」とは、いつ来るか分からない災害に対し、

①「事前」の範囲を現在の地域課題と向き合いながら社会や空間を少しずつ動かし始めること。
②地域の持続性を担保する仕組みを構築すること
③地域住⺠と地域分析や⾏動計画を⽴てること

これらを事前復興計画・まちづくりとして定義している。

最終的には、避難経路策定や⼀時避難地点、仮設・拠点設定などの防災的側面や産業復興、福祉・医療等、様々な要素を包括した計画の策定を⽬指すものである。

本特集の前編では、事前復興計画・まちづくりの必要性について述べ、後編では、実際の取り組みについて紹介したい。

生業(なりわい)と生活の並行した復興

市街地と漁村の連関図と東⽇本⼤震災の被害概要(宮城県⼥川町)

⼩規模な漁村は⽣活圏だけでなく、⽔産業における保冷、加⼯、流通ネットワークが市街地と連関した地域経済構造である事が多い。
⽇常⽣活と⽣業を並⾏して復興していくためには、市街地と漁村の並⾏した復興計画を実⾏する必要がある。

しかし、復興過程において多くの地域が、市街地優先で復興計画の実⾏がなされた。
宮城県⼥川町でも漁村の⾼台移転や災害公営住宅の再建までに2017 年12 ⽉迄の約7 年弱を要することとなり、職住⼀体での暮らし⽅を⾏う漁村において、⽇常⽣活と⽣業の復興における空間・時間的な間隙が⽣じた側⾯もある。

来るべき南海トラフ地震・津波災害は、広域且つ都市圏を含めた甚⼤な被災が予測されている。
これらを踏まえると、政府や各⾃治体が、都市圏及び市街地優先で復興計画を進めることは容易に想像できる。

市街地(保冷・加⼯施設等)が先⾏した復興をしても、⿂の⽔揚げを⾏う現場が復興しなければ意味をなさない。
⽇常⽣活と⽣業、さらには広域的な地域構造を⾒据えた際にも、漁村の事前復興計画・まちづくりは積極的に思案すべき事項であると考える。

人が住めなくなった漁村|災害危険区域

写真上:⽡礫撤去中の⾵景_2011.10/写真下:⼈が住めなくなった⾵景_2016.06(⼥川町飯⼦浜)

写真は⼥川町飯⼦浜の2011 年と2016 年の写真である。
この写真で伝えたいのは被災後5 年の⾵景の違いではなく、⺠家が⽴ち並んでいたはずの漁村に1 軒も⺠家が建っていないことである。

この⾵景が創り出された要因は、浸⽔した漁村や市街地の⼀部のエリアで、住宅などの居住の⽤に供する建築を建てることができない「災害危険区域(建築基準法第39 条)」の指定がかかったためである。
区域指定内は住宅を建てることが法律的に不可能となり、その代替地として、集団で⾼台移転(防災集団移転促進事業)を⾏うための新たな住宅団地が整備される事となる。

分離した生活と生業(なりわい)|高台移転

⾼台移転をした漁村の⾵景_2016.06(⼥川町桐ヶ崎)

⾼台移転した漁村集落の写真である。
⾼台移転した漁村は、海から離れているため、漁師は旧漁村に通う。
神社や墓地などの祭祀に関わる事柄も旧漁村で⾏う。

私は、この新しい漁村の⾵景を⽬の当たりにした際、⽬に⾒えるカタチと⽬に⾒えないカタチの両⾯を重ねた復興の在り⽅の必要性を強く感じた。
⼤災害は、ともすれば先祖代々引き継いできた⼟地から離れた場所に住まなくてはならなくなるかもしれないことを⽰唆する。

さらに、突然襲いかかってくる⼤災害からの復興は、地域住⺠の主体的な復興計画とならないかもしれない。

しかし、私は、地域が主体的に「事前」を想定しておくことによって、⾼台移転でなく様々な可能性を含めた現地再建、さらには、⽬に⾒えないカタチを組み込んだ地域主体の復興計画が可能になることを想像している。

 

▼後編:事前復興計画の事例
職住一体の「まちづくり」(後編)—九鬼漁村の事前復興まちづくり—

  • 下田 元毅(しもだ もとき)

    1980年伊豆生まれ・広島育ち.大手前大学 建築&芸術学部 講師. 建築・都市計画・まちづくりの観点から漁村の生活と生業の一体となった空間に関する調査・研究活動を行っている. 近年は,南海トラフ地震の被災が想定される漁村を主なフィールドとしている.

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