特集・3.11 漁師中心のボランティア組織が人命を救う―海難事故における漁協と漁師が果たす役割―(徳島県・JF椿泊) 2021.3.12 JF全漁連編集部 印刷する 国内で起きた海難事故の大部分は、漁師を中心とするボランティア組織の「水難救済会」によって救助される。この事実は一般的にあまり知られていない。 漁業・漁村の果たす役割の一つである「国民の生命・財産の保全」。これを全うするため、漁師は地域の海上保安部や関係者と連携しながら、人命救助に当たっている。 今回は「平成26年8月豪雨」に巻き込まれ、徳島県阿南市の海洋型キャンプ場に取り残された106人を救助し、日本水難救済会の平成27年度名誉総裁表彰を受章した徳島県水難救済会阿南救難所椿泊支所の活動を中心に、海難事故における漁協と漁師の果たす役割について紹介する。 海上保安庁などと連携して救助を行う水難救済会写真提供:JF椿泊日本の沿岸海域で船舶海難や海浜事故に迅速かつ的確に対応することは、海上保安庁や警察・消防などの公的な救難体制だけでは困難。 このため、全国の臨海道府県には民間ボランティア団体である地方水難救済会、救難所及び支所が合計1,300ヶ所以上も設置され、海難発生等の一報を受ければ、これらに所属する総勢約51,000人のボランティア救助員が、荒天暗夜をも厭わず、直ちに捜索救助活動に対応している。 このボランティア救助員の大半を占めるのが漁師だ。 阿波水軍の流れを汲む阿南救難所椿泊支所救助活動中のJF椿泊の漁船(写真提供:JF椿泊)このうち徳島県水難救済会阿南救難所椿泊支所の構成員は総勢27人。全員が椿泊漁業協同組合(以下、JF椿泊)の組合員である漁師だ。 同支所がある椿泊町は昔、阿波水軍の将であった森氏の本拠地があり、明治時代に至るまで阿波の海上の安全を守る拠点となってきた。 1930年から終戦の頃までは「帝国水難救済会椿泊救難所」が置かれ、ボランティア組織として10数年間で400回出動し、延べ1,700人の船員、漁民の人命を救ってきた歴史がある。 この歴史と誇りを受け継いだ漁師たちは、生業(なりわい)である漁業に勤しみながら、海上保安部や自治体等と迅速に連絡をとるための連絡体制の構築のほか、救助の練習、救助船となる延縄・小型底曳網漁船(長さ10m程度、重さ5~10トンが中心)の整備、AED講習会の開催、救助備品の配布等を行い、日頃から水難事故の発生に備えている。 阿南救難所椿泊支所長である久米順二JF椿泊組合長は、「漁師は海上から国を護る防人。水難事故におけるJFと漁師の果たす役割は非常に重要」と語る。 過酷だった「平成26年8月豪雨」における救助活動海上保安部による救助の様子(写真提供:JF椿泊)近年、レジャー船の運航が増えたこともあってか、水難事故は増加しており、阿南救難所椿泊支所への海上保安部からの救助要請も増えている(2020年度2件、2019年度2件)。 その中でも、特に記憶に残っているのが、「平成26年8月豪雨」にまつわる救助だ。 平成26年8月2日の夜。台風12号の接近に伴う凄まじい豪雨により、徳島県内の県道が土砂崩れで不通となった。そのため、YMCA阿南国際海洋センターのキャンプ宿泊施設に大阪府から来ていた小中学生を含む74人と施設関係者の計106人が取り残され、孤立する非常事態となった。 翌日の朝も豪雨が続き、「宿泊者の安全確保が難しく、宿泊者全員の救助が必要」と判断した施設の責任者が徳島海上保安部に救助要請し、海上保安部の巡視船艇が宿泊施設に向かった。 しかし、同施設の桟橋付近は水深が浅く、巡視船艇が接岸できない。そこで、海上保安部は阿南救難所椿泊支所に対して救助協力要請を行った。 全員無事救助、海を知る漁師たちの判断JF椿泊の漁師による救助の様子(写真提供:JF椿泊)救助要請を受けた久米組合長は、即座に取り残された人たちを事故現場から救助するシミュレーションを行い、3人の救難所員である漁師に出動要請の連絡をした。 この3人を選んだ理由は、①渡船業者で船型が人を乗せることに適している、②現地で接岸しやすい、③救命胴衣もすでに装備されている―という条件を満たしているからだ。 ただ、JF椿泊の漁師たちは救難所員であるとともに、地域の消防団員でもある。 そのため、3人が出動要請の連絡を受けたのは、土砂が崩れた公道の復旧作業に追われる最中だった。 そして、このうちの1人は、自宅が床下浸水する事態にあった。 そのような状況でも、3人は大雨洪水警報発令中の中、出動。卓越した操船技術により、1回につき約10人ずつピストン輸送を行い、小中学生及び引率者計48人を沖合に待機中の巡視船艇まで移送し、無事救助した(他の26人の宿泊者は巡視船の搭載艇により救助された)。 久米組合長は「孤立化したYMCA施設から多くの子供たちや保護者、関係者を無事に巡視船に乗せることができてよかった。そして、大変な事態であっても、出動してくれた3人に感謝している」と当時を振り返る。 阿南救難所椿泊支所は、この救助活動により、日本水難救済会の平成27年度名誉総裁表彰を受章した。 漁師は海に生きるものとして、救いの手を差し伸べる平成27年度名誉総裁表彰の表彰状を受け取る久米組合長(写真右)阿南救難所椿泊支所では、普段から海上保安庁との連絡・連携を密にしているが、この救助活動後から救助要請があった場合、これまでより早く対応できるよう心掛けている。 また、海難救助活動を行うに際して、救助を行う漁師の安全を確保することも重要だ。同支所では、第1に漁師の体調に気遣い、第2に出動する船舶のエンジン、通信機器類が良好かを確認し、最後にできるだけ1隻では出動せず、2隻以上で出動するよう努めている。 久米組合長は、「漁師は海に生きるものとして、海上で遭難している人を見過ごすことなく、救いの手を差し伸べることが重要」と語る。 全国各地の漁師も同じ志を持って、今日も安全第一で操業している。そのことが、日本の海上を護る一手となる。 中国・四国JF全漁連編集部漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebookこのライターの記事をもっと読む
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