特集・3.11 若手漁師コミュニティがリードする漁村復興―“なりわい”の未来をつくる青壮年部活動―(福島県・JF相馬双葉請戸地区青壮年部) 2021.3.10 JF全漁連編集部 印刷する 左から、JF相馬双葉共済課長兼請戸・富熊地区責任者の網谷信行さん、請戸地区青壮年部長今井梓さん、前青壮年部長鎌田寛典さん、福島県水産事務所松本陽さん—離れ離れになった彼らをつないだのは、「漁協(JF)青壮年部」というコミュニティだった— 東日本大震災、そして福島第一原発事故により避難区域に指定された福島県浪江町請戸(うけど)地区。そこは、腕っぷしの強い漁師たちが集う港町。若手の後継者にも恵まれていた。震災前からゆるぎないコミュニティを築いてきた彼らは、あの日から「請戸で漁業を続ける」ために動き続けている。 海から離れた「暮らし」、海に根付く「なりわい」平均年齢39.9歳、18名が所属する相馬双葉漁業協同組合(JF相馬双葉)請戸地区青壮年部には、地元の10~50代の漁師が所属している。東日本大震災以前から、自分たちが獲った魚のPRをするなど、浜を飛び出して精力的に活動していた。 「いつもみんな自然に集まってくる」というのは、前青壮年部長の鎌田寛典さん(42歳)。被災後の混乱期に青壮年部を引っ張ってきたメンバーの1人だ。 2011年の震災・事故後、浪江町は役場ごと内陸の二本松市に避難。親戚の家に避難した町民もおり、青壮年部のメンバーたちの生活拠点は散り散りになってしまった。 そんな状況にもかかわらず、青壮年部活動はその年の11月には再開したという。活動再開の第一歩は、浪江町で明治時代から続く「十日市祭」だった。 避難先の二本松市で開催した十日市祭では、当初自分たちの漁獲物を売ることができなかったが、「今の状況でやれる活動を精いっぱいやろう」と、地元外から魚を仕入れ店頭に立った。 2013年から試験操業がはじまると、自分たちが獲った魚も販売できるようになる。 十日市祭以外にもさまざまなイベントに参加し、福島の魚の安全性を伝えながら、消費者の声に向き合っていた。 2017年には請戸漁港の復旧が完了し、浪江町の避難指示も解除。2019年には荷捌き施設も完成し、生産活動に欠かせないインフラが徐々に整っていった。 請戸で漁師を続けるために—新たな漁業への挑戦鎌田さんは震災当時32歳、現部長の今井梓さんは30歳だった。漁の腕も上がり、仕事が一番面白いときだった。技術を磨く機会が失われ、悔しい思いをしていた彼らだが、「請戸で漁師を続けたい」という思いは日に日に強くなっていったという。 一方で、海から離れた場に生活の拠点を置くようになったことで、操業時間の制約や人手不足などさまざまな不安を抱えていた。 そんな中、たまたま北海道で船を造った青壮年部員の一人が「底建網(そこたてあみ)」という漁法を目にしたという。 福島県では行われていない漁法だ。 情報を集めていくうちに、「底建網なら自分たちの不安が解決するのでは」という考えに至った。 漁協に相談し青壮年部員を構成員とした底建網検討委員会を設立。 視察を受け入れてくれた青森県の漁師のもとにこの漁法を学びに行った。 海の深いところに網を設置し、来遊する魚を網の中に誘導する底建網は、彼らがこれまで行ってきた漁法に比べて、網のメンテナンスなどの作業が少ない。 複数の漁師が共同で作業するのにも向いている。 さらに、魚体を傷めることなく生きたまま漁獲できるため、魚の高値も期待できるのだ。 手ごたえを感じた彼らは、2015年から試験操業の合間をぬって、調査という形で底建網の実践を始めた。 青森の底建網部会の漁師が、初出漁の日にわざわざ請戸まで来て指導してくれたという。 今井さんは「青森の漁師たちが、本当に親切に教えてくれた」と当時を振り返る。 底建網導入まで、あと一歩。残された課題実践する青壮年部メンバーたちがこの漁法に希望を見いだしている一方、本格的に底建網を導入するには課題が残っている。 まずは調査不足。試験操業の合間に底建網の調査を行っているため、年間を通して、いつ・どこで・どのような魚が来遊するのか、網はどれぐらいの時化に耐えられるのかなどといったデータが出そろっていない。 そして、許可の問題。底建網はこれまで福島県で行われたことがない漁法のため、本格的に操業を行うためには新たな許可が必要になる。 底建網を設置する海域では、刺網や船曳網など他の漁業も行われているため、調整も必要だ。 調査で実績をつくりながら、漁協と連携し県行政にも働きかけているという。 次の10年は「希望しかない」震災と事故の直後にどん底をみた彼らだが、すぐに動き出したのは「自然と集まってしまう仲間との『結束力』があったから」だと鎌田さんは言う。 最近は19歳の後継者が仲間入りした。県内の他地域の若手が視察に来たこともある。請戸地区青壮年部の活気は若者の目に魅力的に映るのかもしれない。 彼らを一番近くで支えるJF相馬双葉請戸支所職員の網谷信行さんは、「課題はあるが、請戸の底建網を実用化し、漁場調整の成功事例にしたい」と目標を語る。 そして、次の10年に「希望しかない!」という鎌田さんと今井さん。「生活も、海の状況も変わってきている。他にも新たな漁法にチャレンジしていきたい」と将来を見据える。 大切な人やものを失った事実は変わらない。でも、請戸の漁業が今も続き、未来を語れるのはこの青壮年部の存在があるからに違いない。 写真:2019年度全国青年・女性漁業者交流大会発表資料より(福島県水産事務所提供) 漁師若手東北青年部関連データ「未来へつなぐ港-令和からの挑戦-」2019年度全国青年・女性漁業者交流大会出品資料(水産庁長官賞受賞)JF全漁連編集部漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebookこのライターの記事をもっと読む
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