【特集3.11】最終回「繋いだ販路、漁業者の生活—JF福島漁連の9年間—」

入札の様子、小名浜魚市場(2020年1月)

潮目の栄養豊富な漁場に面した福島県は、日本でも有数な水揚げを誇り、その漁場で捕れた「常磐もの」は築地市場でも高い評価を得ていた。

――あの日から、JF福島漁連(福島県漁業協同組合連合会)は漁業協同組合(以下、JF)と漁業者を支え、「風評」と闘いながら、福島県の水産業をここまでつないできた。

2011年夏に気仙沼沖で漁獲し小名浜港で水揚げしたカツオに値が付かなかった事実を目の当たりにし、「スーパーの店頭に福島県産の魚が並ぶ日」を目指してまい進してきた。

混乱の中でも、次々に出てくる問題を一つ一つクリアしていく過程で、さまざまな事業を担う漁連の組織力が問われた。さまざまな関係者の懸け橋ともなるJF福島漁連の取り組みを追った。

イオンに“福島県産”常設

福島鮮魚便コーナーに並ぶ「常磐もの」

2018年6月、首都圏・宮城県の大手量販店イオン8店舗の鮮魚売り場にできた「福島鮮魚便」コーナー。堂々と「福島県産」の鮮魚が大型量販店の店頭に並ぶ様子を特別な思いで眺めたのは、鈴木哲二JF福島漁連専務だ。「風評」という見えない被害に悩む福島県の水産業にとって大きな転機となった。

2019年には「福島鮮魚便」の実施店舗が2店舗増え、10店舗に拡大した。さらに、通常の鮮魚売り場で福島県産を取り扱いたいというイオンの店舗も他に現れ、確実に染み出し効果が出てきている。

それでも「まだ課題はある」と鈴木専務。

鈴木哲二JF福島漁連専務、小名浜魚市場にて

県内の漁獲量はいまだ震災前の15%ほど。この間、地元の流通関係者が苦しい時間を過ごしてきている。「出荷制限もほとんどなくなった。船や施設も戻ってきた。あとは流通面。水揚げ量を増やして、ちゃんと値段が付くようになれば」と、震災後10年目を前に浮き彫りになる課題を語る。

とにかく売り場に並べること

震災から約半年後の2011年8月29日、気仙沼沖で漁獲したカツオを積んだ福島県籍の船が、仮設で設置した県内の小名浜港に水揚げをした。市場が動くうれしい出来事であった。

ところが、漁場は他県のカツオ船と同じだったにもかかわらず、「小名浜港」で揚がったというだけで、中央市場では値が付かなかった。「一発で答えが出てしまった」と当時の思いを語る鈴木専務。県内の誰もが感じていたことが現実となった瞬間だった。

その時から「値段はあとでもいい。とにかく福島県産を取り扱ってもらう」ことを優先し、野﨑哲JF福島漁連会長らの沖合船が小名浜港での水揚げを続け、リスクを生産者側が取るかたちで何とか仲買に販路を繋いでもらった。

「漁に出れない」、漁師を浜に

指導部が混乱の中まとめ上げたた資料

一方で、原発事故の沿岸域への影響が分からない中、沿岸漁業は操業を再開できずにいた。漁に出ることができず、収入が断たれた沿岸漁師たちが、何とか浜に出て収入を得られるようにと、すぐに動いたのが指導部だった。

「最初の1、2年は先が見えなかった」と入会(1988年4月)以来指導部で働く渡辺浩明JF福島漁連常務は言う。

復興対策チームが設置され、当時指導課長だった渡辺常務を含む3人の指導部職員が、被災後約2週間をかけて福島県の沿岸部を車で回りながら被災状況を調査した。それと並行して事務所・職員が被災したJFのさまざまな業務を補った。

渡辺浩明JF福島漁連常務、都内イベントにて

最初の数カ月は「とにかく漁業者に仕事を」と、国の漁場復旧対策事業等を活用した。あの混乱の中、指導部の職員だけでなく、事業部門の職員も手伝い、国の補助事業を活用するための煩雑な申請資料作成や、1000人近い県下組合員の水揚げデータの再整理などをやり切った。

「申請書類の名簿を整理しながら、あの人が生きていた、あの人が(避難先から)帰ってきた、と一喜一憂していた」と、渡辺常務が当時の異常な状況を振り返る。

軌道に乗った試験操業

水揚げ作業をする漁業者ら

2012年6月。県下組合長会議で、3魚種、一部地域での「試験操業」が承認された。モニタリング検査を重ね、国の出荷制限指示が解除された魚種から、規模を限定して操業と販売を試験的に実施していく方法だ。

出荷先での評価を調査するだけでなく、一般の流通に乗せることで福島県産の魚の安全性をアピールする狙いでスタートした。

小名浜魚市場内に設置された検査室

県下組合長会議にかけるまでに、「福島県地域漁業復興協議会」に諮り、流通業者や小売業者、学識者等の第三者の意見を聞いた。復興協議会の事務局は漁連が担う。

「第三者を交えた中で検討してもらい、消費者に信頼してもらうことが大事だった」と渡辺常務。漁連内の復興対策チームに常駐していた水産庁が一緒に仕組みを考えてくれたという。

2019年12月時点で、出荷制限は1種のみ※。ほぼ全ての魚種が商流に乗せられるようになった。

※2020年2月25日に、すべての海産魚種の出荷制限が解除されました。

安全とおいしさのPR活動

イベントでアンケートに回答する消費者(築地)

試験操業が軌道に乗ると同時に、漁連はJFや行政等と連携して、各地で福島県産魚介類のPR活動を行ってきた。「多いときは毎週末、どこかに出展している」(渡辺常務)という。

築地関係者向けに始めた試食会や、Fish−1グランプリなど、直接消費者や流通関係者の声に向き合ってきた。最近は、消費者や流通関係者の福島県産に対する反応が少しずつ変わってきていることを感じるという。

試食に出した常磐もの。サンマ、メヒカリ、サバ

渡辺常務は「万全な検査体制が理解され、流通している“福島県産”の魚は安全だという消費者の認識高まっている」と、改めて店頭に福島県産が並ぶことの重要性を語る。

鮮魚便が、それを実現する第一歩になったのかもしれない。「いろいろやっていかないと。まずは美味しいものを届けること。うまいものを食べたらみんなにこやかになるから」と、鈴木専務は手応えを感じている。

今、明るい兆しも

消費者に話しかけるJF福島漁連職員

漁連には若手の職員が多くいる。イベントの際は漁業者の引率や、自身が売り子としても活躍する。「これ本当に美味しいんですよ!」と若者が自信をもって福島県産の魚をPRする姿には心を動かされる。

2015年3月に小名浜魚市場、小名浜冷凍冷蔵工場が竣工、さらに2019年までに相馬原釜魚市場、小名浜魚市場、沼ノ内市場、勿来市場、久之浜市場でセリ・入札を再開した。

震災以降、何とか施設を維持しながら、震災復興関係の作業船や漁船に燃油を供給し続けてきた燃油施設も昨年新設された。

決してきれいごとだけでは語れない苦労がそこにはあったが、ようやく、ここまで来た。

未来の“福島県産”へ

震災後に就業した若手漁師たち(沼ノ内市場)

10年目を迎える今――漁獲量はいまだ震災前の約15%。この状況で何とかそれなりの値が付いている。生産量を回復させることと同時に、県内の仲買が自信をもって値を付けられる流通環境づくりも進めなければならない。買参権(セリや入札に参加できる権利)を持つ漁連は、浜値を支えながら協同組合の販売事業の役割を発揮している。

市場で情報交換するJF福島漁連販売課・指導課職員

鈴木専務には、これからやらなければならないことがたくさん見えているようだ。

漁連がこれまでずっと培ってきた、そして震災後も鍛えてきた「魚を売る力」。漁師の生活をここまで繋いできた「指導力」。それらを支える盤石な購買事業と、組織を支える管理部門が、9年の年月をかけた、かけざるを得なかったこれまでの歩みを支えている。

文・写真:JF全漁連編集部

  • JF全漁連編集部

    漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebook

    このライターの記事をもっと読む

関連記事