兵庫のりを支える研究機関「兵庫のり研究所」

兵庫のり研究所職員、右から川崎周作所長、小笠原真主任、藤田亮飛所員、田中航平所員

兵庫県の漁業者が確立した『浮き流し養殖』

兵庫県のプライドフィッシュである「兵庫のり」は、あでやかな黒と、炙ったときの芳醇な香りが特徴です。時間がたっても風味がよく、しっかりと中身を包むことができるため、巻きずしやおにぎり向けに重宝されます。関西地方を中心に、コンビニエンスストアのおにぎりなどにも使用されています。

プライドフィッシュ「兵庫のり」の紹介はこちら

プライドフィッシュに登録されている「兵庫のり」(写真提供:JF兵庫漁連)

兵庫のりの主要な漁場は、明石海峡周辺の潮流の速い場所です。高度経済成長期以前のこの地域は遠浅の海が広がっていたため、ノリの養殖は海底に支柱を立て、網を張る「支柱式養殖」が行われていました。しかし、沿岸部の開発が進み、しゅんせつや埋立てが広範囲に行われるようになったため、水深が深くなり、支柱式養殖によるノリの生産は不可能になりました。

兵庫県の漁業者は試行錯誤の末、1967年に「浮き流し養殖」と呼ばれる独自の養殖方法を確立しました。浮き流し養殖とは、あらかじめノリの種子を植え付けた「種網」を錨とロープで固定し、浮きを使って海面付近に漂わせる養殖方法です。

この種網の準備過程で生産者を支えてきたのが、兵庫県漁業協同組合連合会(JF兵庫漁連)が運営する「兵庫のり研究所」(1986年設立、以下、研究所)です。今回は、兵庫のりの生産過程と研究所の役割を紹介します。

兵庫のり研究所が行う繊細な種苗培養

JF兵庫漁連が運営する「兵庫のり研究所」

研究所の主な業務の1つに種苗の培養があります。兵庫県では、スサビノリを種苗として使用しています。自然界においては、スサビノリは2~3月になると生殖器官である造精器と造果器を形成し、これが受精して果胞子を放出します。果胞子は発芽すると、「糸状体」へと変化し、糸状体はカキなどの貝殻に付着して夏を越します。そして秋になると、殻胞子嚢(かくほうしのう)を形成し、殻胞子を放出します。この殻胞子が新しい「ノリ芽」の“もと”となります。

研究所はまず果胞子を採取し、糸状体が貝殻に付着する前の「フリー糸状体」をビーカーで育成します。フリー糸状体がある程度成長すると、それを細かく裁断し、カキ殻に付着させます。このカキ殻に付着した糸状体のことを「カキ殻糸状体」といいます。カキ殻糸状体は性質上、細菌などに弱いことから取り扱いには細心の注意が必要です。所長の川崎周作さんによると、人の手や海水からも細菌が侵入する恐れがあるため培養には滅菌海水を使用することはもちろんのこと、研究所の作業者は手のアルコール消毒も欠かさず行っているそうです。

糸状体にとって最適な水温は15~24℃の範囲であり、30℃を超えると、殻胞子嚢に傷みなどが見られます。そのため、夏場には培養場の水温が上がらないよう、床に打ち水をしたり、スプリンクラーを設置したりすることで、室温が上昇しすぎないようにしています。

 

培養中のマリモのような「フリー糸状体」

「秋の風物詩」となった採苗風景

9月下旬から10月上旬になると、研究所はノリ芽のもととなる殻胞子を網に移植する採苗という作業を実施します。採苗で気を付けなければならないことは気温です。なぜなら殻胞子は水温が24℃以上になると網に定着しなくなるからです。そのため研究所では、採苗中は水車や水槽内の海水温管理を徹底し、冷海水の確保はもちろんのこと冷海水を循環させて温度の上昇を抑制したりするなどの工夫を行っています。殻胞子は発芽してから10日ほどで新しいノリ芽を出します。これを「単胞子」と呼び、後の収穫量に大きく影響します。

採苗についてはまず、生産者から預かった網を水車に巻き回転させながら殻胞子を網に付着させます。殻胞子の付着数を顕微鏡で確認した後、網を水車から外し水槽に流し込み、一定時間漬け置きます。その理由は、日光を当て殻胞子を定着させるためです。作業の際に巨大な水車が何台も稼働しますが、この光景は兵庫県の「秋の風物詩」となっています。

殻胞子が付着した網を水槽に流し込む様子(写真提供:JF兵庫漁連)

一方、生産者は殻胞子が付着した網を当日または翌日に研究所から持ち帰り、脱水してから袋に入れ-25℃の冷凍庫で一旦保管します。そして海水温が23℃以下になると、この網を漁場に張り、ノリが1㎝程度に成長するまで育てます。成長を確認すると一定時間、海水から網を上げて乾燥させます。この作業を「干出(かんしゅつ)」といい、このひと手間を行うことでノリの旨みを増加させ、ノリが潮流にもまれても網からの脱落を防ぎます。干出の後は一度、網を冷凍します。冷凍する理由は、網に付着した他の海藻や細菌類を駆除するためです。この網が育苗網となり、冬の適温期になると、漁場に張り出されます。

海洋環境の異変に挑む選抜育種

現在、ノリの主産地では、栄養塩不足のために品質が悪くなる、いわゆる「色落ち」が深刻化しています。兵庫県の漁場も例外ではありません。水質汚濁防止法などに基づく総量削減基本方針の第5次方針(2001年)から、窒素、リンが削減対象に追加されたことや栄養塩の消費で競合関係にある植物プランクトンの大規模な発生が関係していると考えられています。

研究所は、ノリの漁期に栄養塩の量や植物プランクトンの発生状況を定点観測し、得られたデータを生産者に情報提供してきました。このデータによると、ノリの漁場における窒素量不足が2000年代から明確に生じていることがわかります。さらに、海水温の上昇も顕著になっており、育苗網を張る時期が後ズレすることで、生育に適した期間が短くなっています。

東播海域の溶存態無機窒素量(栄養塩)の推移を示した図(提供:JF兵庫漁連)

この状況に対応するため、研究所は成長の早い品種づくりのために漁場で原藻を採取し、試験的に栽培を行うなど「選抜育種」に取り組んでいます。また、変動の大きな海洋環境にも適応できるよう、採苗時には複数の種苗を組み合わせるなどの工夫を行っています。さらに、品質向上をはかるため、生産者からノリの生育状況や製品の出来具合などを聞き取り、それをもとに品種のブレンド(配合)を検討しています。

ノリの生産は、冬場に朝早くから夜遅くまで働く大変な作業です。このような生産者の苦労を思いながら、研究所は変動する海洋環境をみつめ、兵庫のりの生産を次世代に引き継ぐため、日々対応策を模索しています。

「兵庫のり」で作った巻きずし(写真提供:JF兵庫漁連)
  • 田口 さつき(たぐち さつき)

    農林中金総合研究所主任研究員。専門分野は農林水産業・食料・環境。   日本全国の浜を訪れるたびに、魚種の多さや漁法の多様さに驚きます。漁村には、お料理、お祭り、昔話など、沢山の文化があります。日本のなかには一つも同じ漁村はなく、魅力にあふれています。また、漁業者は、日々、天体、潮、海の生き物を見ているので、とても深い自然観を持っています。漁業者とお話をしていると、いつも新たな発見があります。   Sakanadiaでは、そんな漁業者の「丁寧な仕事をすることで、鮮度の高い魚介類を消費者の食卓に届けよう」という努力や思いをお伝えできればと、思っています。   ▶農林中金総合研究所研究員紹介ページ

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