明石の魚は、なぜ美味しい?  文&写真:吉村喜彦

明石の魚は美味しいといわれる。
理由にあげられるのは、まず第一に海峡の豊富な餌を食べていること。第二に、激しい潮流で身が引き締まり、脂の乗りがよいこと。
そして、大切なのは伝統的な「活け越し(いけこし)」の技術だ。

「活け越し」とは、魚を一晩おいて出荷することだという。
獲ってきたばかりの魚は、捕まえられたときのストレスがたまっていて、いわば「満員電車から出てきたばかりのような状態」で、ヘトヘトに疲れている。
その魚を一晩生け簀でゆっくり安静にしておくと、筋肉の乳酸疲労もとれ、お腹のなかにたまっていた餌も糞として出ていく。

活け越ししたものを活け締めにし、血抜きをすることで、死後硬直がおこるまでに熟成がすすみ、うまみが出てくるのだそうだ。

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イカナゴくぎ煮普及の仕掛け人であり、明石・林崎漁協顧問の鷲尾圭司(わしお けいじ)さんに、どうして明石で活け越しの技術が発達したのかを訊いた。

「瀬戸内海の魚は大阪の雑魚場(ざこば)に運ばれていきますが、その中継点が明石なんです。魚が明石まで来たときに、雑魚場の状況を見て、たとえば和歌山から魚が来て、だぶついて値がつかないという状況のときには、明石から魚を送ることを止めたんです。
で、時化が来たり、ほかの浜から魚が来ないときを狙って、魚を出したんです。そうすると、大急ぎで雑魚場に持っていった魚より、1日2日餌止めにして持っていったほうが、高く評価されるというのが経験としてわかった。
そうすると、普段からでも生け簀にしばらくおいて持っていたほうがいいんじゃないかとなった。それが活け越しの発想のもとですね」

鷲尾さんは明解にこたえ、さらに、続けた。

「明石の前の海は水深が深い(150m)のもよかったんです。大雨が降っても淡水化しない。西宮や堺の大浜も雑魚場に近かったんですが、水深が浅いので大雨が降ると淡水化することがあったんです。その点、明石は海の魚を生かし続けられた。天然の生け簀になっていたんですね」
明石の地理的地質的な特性が、この活け越しという技法につながったのだ。

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明石と淡路島を結ぶ高速船乗り場近くにある「明石カンカン」という居酒屋に連れていってもらった。

太刀魚の骨せんべいはカリッと香ばしくて、ほどよい塩味がビールのあてに最高だ。
活け越しの海老の焼き物は、目玉の上品な苦みと身の甘みが玄妙なハーモニーを生んでいる。なかなか、これほど美味しい海老はないだろう。

豆腐を添えたカワハギの煮つけは上品で淡い味つけ。魚の味がよくわかる。

合わせる酒は、西海(にしうみ)酒造の「空の鶴」。山田錦と兵庫北錦を有機質肥料で、自家水田で育てているという。仕込みの水も酒造所に湧き出る地下水。さらりとしながらも、深みのある味わいは、明石の魚にぴったりだ。

昔から良質な水と米に恵まれた明石は、江戸時代初めから酒造りがおこなわれ、神戸の「灘」に対して、「西灘」と呼ばれるそうだ。

西海酒造は1716年(徳川吉宗の時代)から酒造りを続ける明石市内最古の蔵。米作りから酒造りまでを自らの手で行っているのが頼もしい。
「空の鶴」というネーミングは、創業者が、空に舞う美しい鶴にのって大空を翔る夢を見たことから付けられたという。
まさに、大地をふわっと離れ、天空を飛ぶような酔い心地だ。

そういえば東京から来るときに乗ってきたのは日本航空。シンボルマークは赤い鶴。
まさに、こちらも空の鶴。

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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