ニッポンさかな酒 やさしきは、小豆島 2020.7.21 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ) 印刷する 『バー堂島』『ビアボーイ』などの著者、吉村喜彦氏の連載! 今回は夏の小豆島。ブランド魚の「島鱧」を地酒とともに。 今夜は必ず日本酒が飲みたくなる、ニッポンの酒×魚のお話です。(Sakanadia編集部) やさしきは、小豆島 文&写真:吉村喜彦大阪生まれのぼくにとって、夏の魚といえば、ハモである。 東京では高級魚だが、大阪では庶民の魚。ハモの湯引きを梅肉酢につけて食べる。これぞ、「夏」を感じさせてくれる逸品だ。 そんな夏も近づく八十八夜、小豆島のハモがブランド化されていると友人から聞き、むずむずと旅心が刺激された。 ──小豆島でハモ……。 いままで同じ瀬戸内の淡路島や徳島のことはよく聞いていたが、小豆島の名前は初めてだった。 * * * 新岡山港からフェリーボートで島に向かう。 梅雨の晴れ間の青空が広がり、海風に吹かれながらの70分の船旅はとても心地よい。 土庄(とのしょう)港から車で10分ほどで、めざす四海(しかい)漁協があった。 この漁協の若い漁師と職員が小豆島のハモをブランド化したのだ。 「ハモは以前から獲れていたんですか?」 と訊くと、 「とくに十五年ほど前から、たくさんかかるようになったんです」 漁協の上川(かみかわ)さんがこたえた。 島では、ハモは下魚(げざかな)で、漁師以外の家では食べられなかったそうだ。骨切りして食べる習慣がなかったから、ミンチにして「てんぷら」(さつま揚げ)で食べていたという。 そこにハモの大漁である。 はじめは岡山の水産業者に売っていたが、値が安かったので、高松経由で関西に持っていくことにした。 ところが、大阪ではなかなか評価されなかった。 漁師たちは一念発起。ハモの扱いや輸送方法を熟慮し、さまざまな基準を設け、それをクリアしたものに「小豆島 島鱧(しまはも)」というブランド名をつけた。4年前のことである。 いまは小豆島から関西へ漁協のトラックで直送し、大阪や京都の割烹などから高い評価を受けているそうだ。 * * * ハモの名前は「食(は)む」に由来するという。たしかに、その面構えからも、ハモは獰猛な印象がある。 しかし、はたして、単に猛々しい性格なのだろうか。 人間もそうだが、攻撃的になる(噛みついてくる)ひとは、えてして繊細なこころをもっている。ハモだって同じじゃないか。 畜養中や輸送中の環境が清潔でおだやかであればあるほど、ストレスがなくなり、ハモの身の質が違ってくるそうだ。「小豆島 島鱧」はそのあたりを、かなり配慮している。 日本料理「島活」漁協の上川さんに紹介してもらった日本料理「島活(しまかつ)」にお邪魔して、ハモの湯引き、お吸い物、天ぷらをいただいた。 白く涼やかな色をしたハモの湯引きは、口のなかに入れると、ほろほろと泡雪のように溶けていく。後には、ハモのやさしい食感と小豆島の海の香りがほんのりと残るだけ。 お吸い物は、軽く炙ったハモの香ばしさがいい。天ぷらは、天上の雲を食べているような軽やかさ。 合わせるお酒は、島唯一の酒造所・小豆島酒造の「うとうと」。 すっきりとした口あたりの純米酒は、淡く脂肪ののったハモの身肉にぴったりだ。 この酒造所のお酒のラベルは、すべてデザインが洒落ていて、日本酒というよりもSAKEという感じだ。味わいも甘ったるくなく、食中酒として、とてもいい。 微かにスモーキーなハモのお吸い物をいただきながら、「うとうと」を飲んでいると、昼間渡ってきた波一つない瀬戸内のあかるい海が目の前に浮かんできた。 そうだ──。 この島は、船でしかやってこれないのだ。 * * * 尾崎放哉終焉の地「南郷庵(みなんごあん)」跡に建てられた尾崎放哉記念館「島活」の近くには、「咳をしてもひとり」で有名な俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)の終焉の地がある。 放哉は東大法学部を出て、保険会社に勤めた。当時バリバリのエリートだったが、酒癖が悪く、何度もトラブルをおこし、会社をクビになり、寺男としてどうにか暮らしていた。 しかし酒の上での失敗は続き、持病の結核も悪化。生活に窮して、俳句の師匠の紹介で小豆島に渡ってきたそうだ。 島の人たちに面倒を見てもらいながら、よろよろと八ヶ月間、島で暮らし、他界した。 放哉は山よりも海が好きだった。海には、やさしい母性を感じていたようだ。 今回の小豆島取材は、ぼく自身、坐骨神経痛の痛みで、満足に歩くこともできない旅だった。それゆえ、島のやおだやかな風光や人情が、肌に染みいるように感じられた。 潮風に吹かれ、ハモの天ぷらを食べ、「うとうと」をひとくち飲むと、脚の痛みも少し減じていく──。 他者を傷つけ、放埒(ほうらつ)に暮らした放哉は、きっと島の空と海にいやされて、白い煙になっていったのだろう。 春の山のうしろから烟(けむり)が出だした 放哉の辞世の句である。 文&写真:吉村喜彦 ☆「小豆島 島鱧」の取り組みは、大正大学出版会の月刊「地域人」に連載中の「港町ブルース」に掲載されますので、そちらのほうで、ぜひご一読ください。60号、61号(8月10日売り、9月10日売り)です。 酒近畿吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。このライターの記事をもっと読む
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