壱岐の海の幸と麦焼酎        文&写真:吉村喜彦

玄界灘に浮かぶ壱岐島(いきのしま)は博多から70キロ。
ジェットフォイルで約1時間の距離。
博多港を出た高速船は日本の歴史をさかのぼるかのように、
右手に志賀島、左手に玄界島を見ながら、北西に進路をとっていく。

この海に面した壱岐、そして松浦半島など九州北西部、五島列島には、
かつて、同じような生活スタイルをもった海人(あま)族という人たちが暮らしていた。
3世紀後半の中国の史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にその暮らしぶりが記されている。
彼らは「好んで、漁鰒(ぎょふく)を捕らえ、水に深浅となく(深い浅いにかかわらず)、皆沈没して(もぐって)之を捕る………
倭の水人は好んで沈没魚蛤(ぎょこう)を捕らえ、
文身(いれずみ)をし、またもって大魚、水禽(すいきん)を厭(はら)う」
これは、魏の使者が朝鮮をとおって、対馬、壱岐を経由し、
松浦半島にやって来る間に実際に見た光景だろう。
壱岐島の東部・八幡(やわた)地区では今も海女が、いにしえの海人族伝統の潜水漁を営んでいる。しかも、レオタードを着て潜るのだという。

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15年前、実際にその海女の漁を取材させてもらった。
当時、壱岐東部漁協・海女組合会長だったのは片穂野八代子(かたほのやよこ)さん。小柄で若作り。とてもキュート。

高齢の方が多いと聞いていたが、良い意味で、まったく予想に反していた。
片穂野さんが身支度を調える。
一番下にシャツ。そして長袖ハイネックのヒートテック。そしてまたシャツ。その上から水着、レオタード。計5枚の重ね着だ。
「準備に30分。耳栓を入れて、ドリンク剤飲んで、目薬さしたりね」
水着とレオタードの間に、採ったアワビやサザエ、ウニを入れる。まるで海の幸を身ごもったような姿になっていくという。

いちいち海に浮かべた桶まで入れにいかなくてすむように、こうしているのだ。
「ここでは昔からウエットスーツは着てはいけないんです。採りすぎてしまいますから」

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一回の潜水はおよそ1分。
これを何度も何度も繰り返し、一潮(ひとしお・1ラウンド)約3時間潜り続ける。

海女さんたちが海中から浮上する姿を見ていると、
あちこちで
「アアーッ」
「ワーッ」
という声が聞こえてきた。
「ボンベじゃないけん、疲れんめー。
ほいで、海から出てきたら『ハーッ』て声が出る。
すると、ちょっと気持ちが楽になるとたい。自然に出るとたい」
海女さんのひとりが、そう教えてくれた。
「息が長い人でも1分。深さ15メートルまで潜って、また帰ってこんといけんけんね。
海女の仕事で死んだ人、何人もおるとよ。
石の下にアワビおるとき、そこに道具持っていって手のはさまって、出てこられんようになって……。今はおらんばってん」

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ムラサキウニ、その後は赤ウニ、バフンウニ、サザエ、アワビを採る。

八幡では毎日二潮(ふたしお・2ラウンド)、6時間近く潜る。
海では何が起こるかわからない。海女さんたちはなるべく離れないようにしている。
片穂野さんは言う。
「海から上がってくるときのアアーッて声は磯笛というんですが、
仲間がどこにいるか確認できるという安全確認にもなっているんですよ。
海では何が起こるかわかりませんから」

平安時代の清少納言が、『枕草紙』に、この磯笛のことを書いている。
「舟の端をおさへて放ちたる息などこそ、
まことにただ見る人だに、しほたるる」
(海女が舟端をおさえて放つ苦しそうな息など、ただ見ている人でさえ、涙をもよおす)

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陸にあがって、海女さんたちが獲ってくれたアワビやサザエをいただいた。

磯の香りとみずみずしい味わいに、あの磯笛の音を思いだす。
合わせたのは、壱岐の麦焼酎。
ひとくち飲む。
すっきりと軽やかな味わいがいい。
麦の甘さと爽やかなのど越し。クセがなく、
たいへん飲みやすい。

アワビやサザエの強い磯の香りをおだやかな波風に変えるようだ。
ちなみに、銘柄名「ちんぐ」というのは、長崎の言葉で「親友」という意味。
たしか韓国語も同じ意味だった。このタイトルの、釜山を舞台にした名作映画があった。
そうか。
この酒は、海女さんたちが友を勇気づける、あの磯笛のような酒なのだ。
そう思って飲むと、より味わいが深くなった。

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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