「ナガラミと初亀(はつかめ)」    文&写真:吉村喜彦

 過日、あかるい風光をもとめて、静岡に旅をした。
 長い海岸線をもつ、おだやかな土地には、
 気楽に入れる美味しい居酒屋がたくさんある。

 行きつけの青葉おでん街の店で、黒はんぺんなどの練り物を注文すると、
 女将が、「静岡に来たなら、これもぜひ食べてね」
 と薦めてくれたのが、ナガラミだった。

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 標準和名はダンベイキサゴ。
 殻の幅は3~4㎝。
 表面はつやつやと滑らか。

 色はグレイや青灰色、茶色とさまざまだが、どれも幾何学模様が美しい。
 生息地は、外洋に面した砂浜。水深2~10mほどのところ。
 駿河湾や浜名湖、九十九里浜、相模湾など。

 ダンベイキサゴのダンベイとは、舟底が平たい荷舟のこと。
 たしかに、扁平な殻のかたちは、団平舟のようだ。

 「子どもの頃は、毎日おやつにしたわよ」
 おでん屋の女将が言いながら出してくれたのは、ナガラミの醤油煮。
 楊枝でくるんと身を引っ張り出して、ひとくち。
 深いうま味がある。
 クセがなく、歯切れがいい。
 「そうなの。ワタの苦みがないし、磯くさくないでしょ。だから、子どもも好きになる貝よ」
 おとなには、酒のつまみに持ってこいだ。

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 静岡の酒はすべて美味しい。
 フレッシュで飲みあきないのが共通したテイストだ。

 そんな静岡酒が注目を集めたのは、それほど古いことではなく、
 1986年(昭和61)年の「全国新酒鑑評会」から。
 この年、静岡県内から21蔵が出品。17蔵が入賞、そのうち10蔵が金賞を受賞。

 当時、全国的には無名だった静岡の地酒が、
 金賞の1割近くを占める快挙を成し遂げたのだった。
 その美味さの原動力は「静岡酵母」。

 生まれた酒は「静岡型吟醸」と呼ばれ、
 やさしい味と香りで、食中酒として最適と評価されている。

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 さて。
 女将がナガラミに合わせてくれたのは「初亀(はつかめ)」。

 静岡市から安倍川を渡った東海道の宿場町・岡部(おかべ)にある、静岡最古の酒蔵の酒。
 創業は江戸時代、徳川家光のころ、1636年(寛永12年)だという。
 鑑評会で幾度も金賞に輝く名酒である。

 静岡の酒らしい、すっきりとした飲み口。
 はなやかで繊細優美な味わい。
 うま味のある、きれいな酒だ。
 ナガラミの淡い海のテイストに、
 南アルプスの伏流水から生まれた初亀の透きとおった水の味があわさって、
 口のなかに「水のあわい」=汽水域が生まれたようだ。

 静岡の空と海のような、胸をすく爽やかな感覚に酔いしれる。

 久しぶりに何も考えない、まさにヴェイカント(vacant=空っぽ)な時間。
 静岡のさかなと酒は、そんな豊かなときを与えてくれる。

 文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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