澄みきった秋の空気に    文&写真:吉村喜彦

仙台に行くと、必ずお邪魔するバーがある。
国分町・稲荷小路にある「ル・バール・カワゴエ」である。

*    *    *

階段を上って、ガラスの扉をあける。
仄暗い照明のなか、漆黒のバーカウンターが見え、その向こうにマスターの川越正人(かわごえまさと)さんが静かに立っている。

カウンターの一角には一条(ひとすじ)の光──。

ノラ・ジョーンズが低く流れ、バックバーには川越さんの厳選したシングルモルト、今は市場に出回らないオールド・ボトルのウイスキー、スピリッツやリキュールが並び、最下段にはさまざまな形のグラスが居住まいを正している。

グラスやボトルに反射した明かりはピアノ塗装のカウンターに映りこみ、微かな光の粒になっている。カウンターの幅もちょうどいい。客との適切な距離がこの幅にあらわれている。

川越さんは折り目正しく、やわらかな物腰。グラスが空いても「次は……?」などと絶対に訊かない。「お酒は時間を楽しむものですから」と謙虚に微笑む。
ゆったりとスツールに腰掛けると、しんとした森にいるような、清々しい空気に包まれるのだ。

*    *    *

川越さんが秋から冬にかけて、期間限定で出すオードブルが松島産の牡蠣スモーク。
生牡蠣を桜チップと焙じ茶の葉で燻し、鷹の爪を入れたオイルに3日間浸したもの。
それだけ食べると、ナッティーな香りにくるまれた牡蠣の味わいがし、その後、燻香が立ち、ピリッと舌が痺れる。

その牡蠣スモークに合わせてくださったのはスモーキー・マティーニ。
ビーフィーターのジンとアイラ島のシングルモルト=ラフロイグでつくる。

まずミキシンググラスに、大きさが微妙に違う氷を組み込み、くるくるとステアして冷やす。
普通はカランカランと音がしそうなものだが、まるで音がしない。静かに滑らかに、しかし、スピーディーに100回以上ステア。

ラフロイグを注いで再びステア。
香りづけをした後、ほんの微かに液体を残して、サッと捨てる(もったいない!)。

そしてジンを注いでもう一度90回近く素早くステア。
キンキンに冷やしたグラスに注ぎ、レモンピールをグラスの縁でしぼって完成──。

天からの一条の光のなか、グラスは真っ白に霜がおり、透明な液体が冴えわたっている。その姿はまるで白い氷の炎が立ったよう。

手際よい川越さんの動作を見ているだけで、ごくりと生唾がでてきた。

牡蠣スモークをひとくち含んで、飲む。
森と川と海が出会う所に牡蠣は生まれるという。
淡いレモンの香りが、牡蠣を育んだ森の味わいを一瞬際立たせた。
そうして、その奥からラフロイグの胡椒風味の塩辛さが浸みとおっていった。

静謐と爽涼に、おもわず背筋がすっと伸びる。

飲み終えてしばらく経っても、ジンと牡蠣のみどりの香りがブレンドされ、そこはかとなく口中に漂った。
「美味しい牡蠣はいつまでも余韻が残る。お酒を飲んだ後もずっと残る」
と牡蠣の漁師に聞いたことがある。

まさにそれはル・バール・カワゴエのことではないか──。
スモーキー・マティーニのグラスを口に運びながら、そう思った。

秋の季節。仙台が呼んでいる。

文&写真:吉村喜彦

 

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  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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