ニッポンさかな酒 ニシンと生ビール 文&写真:吉村喜彦 2026.2.19 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ) 印刷する 万年筆とスーツケースの調整のために銀座に行った。 帰りに、久しぶりにビアホール・ライオン銀座七丁目店に立ち寄る。 高い天井がいい。 ゆったりとした席もいい。 昭和のモダンな雰囲気がある。 広々とした空間にたくさんひとが入り、 楽しそうにジョッキを傾け、それぞれ話の花を咲かせているが、うるさくない。 不思議と落ち着いた空気が流れている。 * * * このビアホール。 昭和9年(1934年)に開店以来、 太平洋戦争の空襲にもあわず、創業当時と変わらぬたたずまいを見せている。 まさに日本のビアホールの殿堂である。 ビール麦の収穫をする人たちを描いた大壁画も圧巻だ。 ここで飲む生ビールが、とにかく美味い。 するする飲める。 まったくのどに引っ掛かりがない。 苦みがエグくない。 ほのかなビターが、しっかりと舌を締めてくれる。 爽やかだけれど、浮ついていない。 ホップの上品な香りも心身をきれいにしてくれるよう。 ぼくは、ここの生ビールが世界中でいちばん好きかもしれない。 * * * ふつうのお店の生ビール・サーバーは、ビールと泡をべつべつに注ぐ。 最初にビールの液体を。 次に、シューッと泡をのせる。 ところが銀座ライオンでは、 「注ぎながら泡をつくる」ことに拘っている。 伝統の「一度注ぎ」というそうだ。 注ぎ口から出るビールを、傾けたジョッキに受ける。 泡が広がる。 液体は白っぽくなる。 ジョッキをビールで満たすと、泡がビールの表面に上がってきた。 そして、クリーミーな泡が黄金色の液体にふんわりとかぶさる。 「一度注ぎ」のポイントは、 ビールを注ぐときにジョッキの中でビールを回転させ、余分な炭酸ガスを抜くこと。 雑味を泡に閉じ込めて、喉ごしすっきり、 えぐい苦みのないビールに仕上がるという。 * * * サッポロライオンの生ビールを味わっていると、 デンマークのおいしいビールを思い出した。 カールスバーグの取材に行ったとき、 コペンハーゲンで食べた酢漬けニシンが美味しかった。 と、店のメニューを探してみると、ある、ある。 デンマークではスモーブローというオープンサンドが日常的に食べられている。 ライ麦パンにバターを塗り、 ディルや卵とともに酢漬けニシンが載せられることもあった。 甘酸っぱく爽やかな風味は、北国の淡い青空によく似合っていた。 * * * 北海・バルト海沿岸地域(オランダ、ドイツ、スカンジナビア諸国)では、 酢漬けニシンは古くから愛される伝統料理。 このエリアの歴史には、じつはニシンが深く関わっている。 13世紀から16世紀、ハンザという都市同盟(リューベックやハンブルクなどの都市)があった。 北海・バルト海の貿易を掌握し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した。 ハンザの経済的基盤にはニシン貿易があった。 大衆的な食べものだったニシンを塩漬けにして ヨーロッパ各地に流通させ、巨万の富を築いたのである。 脂の多いニシンは酸化しやすいので、 内臓を取りのぞき塩漬けにし、樽詰めして長期保存することを考えたのだ。 ところが、ニシンは回遊魚なので、 そのルートがバルト海から北海(オランダの沖合)に変わり、 やがてハンザ同盟は衰退していく。 かわりにヘゲモニーを握ったのはオランダだったが、 その後、ニシン漁の件で、イギリスともめ、経済的覇権も失っていった──。 * * * そんなこんなを思いながら、酢漬けのニシンをつまみながら飲む生ビール。 オランダもドイツもデンマークもビールが美味い。 酢漬けニシンを食べながらビールを飲むのは、 長い歴史が息づくマリアージュなのだ。 それにしても、この店のビールは美味い。 文&写真:吉村喜彦 酒世界吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。このライターの記事をもっと読む
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