湘南ハマグリと下り酒    文&写真:吉村喜彦

「湘南はまぐり」というブランドがある。
湘南といえば、ビーチ、サーフィン、サザンオールスターズ。魚でいえば、江ノ島で食べるサザエの壺焼きであり、シラス丼であった。

まさかの「はまぐり」である。
興味をもったぼくは、「湘南はまぐり」の仕掛け人であり、プロデュサーである藤沢市漁協の葉山一郎さん(代表理事組合長)に会いに行った。2年前のひなまつり直前のことだ。

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漁協近くの鵠沼(くげぬま)の浜におりる。
ほんの目の前、200メートルほど沖合に漁船が一艘うかんでいる。長男の博史(ひろふみ)さんがハマグリの網を曳いているのだそうだ。

と、目をうたがった。
サーファーが数人、船と浜のあいだの海で波乗りに興じているのだ。こんな光景は、初めて見た。

葉山さんはぼくの顔をチラ見して、クスッと笑った。
「湘南らしい景色だろ。漁師とサーファーが仲良くやってんだよ」
浜にはうららかな光が射し、遠くには伊豆半島が青くかすみ、富士山が白く輝いている。頰をすぎる朝の風が心地いい。

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「湘南はまぐり」はとにかく大きい。身入りがよくて肉厚。豊かなうま味が特徴だ。

「この浜はハマグリに適してんだよ。相模湾のど真ん中にゃ相模川、江の島近くにゃ境川と曳地川が流れ込んでるだろ。川と海が出合ってよ、ハマグリの餌になるプランクトンがいっぺえいるんだ。うちは大きさ7㎝以上のものしか獲らねえ」

急に水深が深くなる相模湾のなかでも、藤沢の地先は海底がなだらかに傾いていて、砂がたまりやすいそうだ。

左手が組合長の葉山一郎さん。右手が長男の博史さん。

葉山さんは、砂が大事だ、と言う。

「2歳以下の小っちゃい子どもの貝は、とてもデリケート。とくに浜の砂の質が、その後ちゃんと生きていけるかどうかに影響するんだ。砂の粒子がいいから、ハマグリが砂の中に潜りやすくて棲みやすい。

ただ、砂粒が細かければいいってもんじゃねえ。細かすぎると地が堅いじゃん。そうすっと、潜るのにやさしくねえじゃんかよ。ここの浜はやさしく潜れんだべよ。少し砂粒が粗いから。ハマグリもキュキュッと潜れんじゃねえか? おれはハマグリじゃねえけど(笑)なんでも加減が大事だべ」

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「湘南はまぐり」を食べる。

まずは、焼きはまぐり。
殻の大きさ13㎝。巨大である。
身がぷりんぷり。とても食べ応えがある。味つけはシンプル。醤油と味醂とお酒のみ。ハマグリの自然な塩味をたいせつにすべく、醤油も味醂もちょっと垂らす程度。
なかなか噛み切れないほど身に弾力がある。そして甘い。
噛みしめていると、湘南の海の味わいが口いっぱいに広がってくる。

一年を通じて、3月のひなまつり前後がいちばんハマグリが美味しいそうだ。

お吸い物は昆布で出汁をとって、お酒と少々の塩の味つけのみ。

酒は菊正宗の樽酒をあわせた。
辛口でかすかに苦みを感じるこの灘の酒は、ハマグリにぴったりだ。後味のキレの良さが、早春の風を思わせる。

貝類のうまみ成分は、日本酒にも含まれているので、相性がとてもいい。これぞ日本のマリアージュ(結婚)。

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かつて江戸の都では、灘や伊丹・池田の酒が人気だった。上方から下(くだ)ってくるので、「下り酒」と呼ばれたそうだ。

当時のひとたちは、きっと灘の下り酒を飲みながら、江戸湾の干潟でとれたハマグリに舌鼓をうっていたんだろうな、と思いつつ、菊正宗の杯を傾ける。

そういえば、下り酒が樽廻船で江戸に着くのは、この1月に全漁連が引っ越した新川だった。

 

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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