マルサラと茹でダコ                  文&写真:吉村喜彦&吉村有美子

 数年前、シチリアのパレルモに行った。
 着いた夜、ホテル近辺ではサイレンを鳴らしたパトカーがたびたび走り抜け、
 さすがゴッドファーザーの土地と思いつつ、ほとんど眠れず朝を迎えた。

 そんな寝ぼけまなこで、ホテル近くにあるヴッチリア市場に向かう。
 海外であれ国内であれ、旅の楽しみは市場に行くことだ。

    *    *    *

 くねくねした路地を抜けていくと、
 平日の朝10時というのにバールが開いていた。
 中には、でっぷり太った、ちょっとその筋かと思えるオヤジがすでにニ、三人。立って酒を飲んでいる。
 さすがシチリア、である。

 バックバーの上にはワイン樽が4つ。

 店主に聞くと、シチリア名産のマルサラ酒の樽だ。
 マルサラとは酒精強化ワインの一種(シェリーやポートワインの仲間)で、
 ワインにアルコール(酒精)を加えて度数を高めたもの。
 気温が高く、温度管理の難しい土地で、ワインを腐らせないように、と生まれた酒だ。
 マルサラは食前酒や食後酒としてよく飲まれ、
 ティラミスなどのお菓子の風味づけや料理のソースなどにも使われている。

    *   *    *

 アーモンドのような甘い香りと芳醇なアロマにふんわりと心地よくなり、お腹も減ってきた。
 マルサラはちょうどよいアペリティフ(食前酒)だ。

 再び路地に出ると、そこには八百屋、くだもの屋、乾物屋、衣料品店など小さなお店が並んでいる。

 ボッタルガ(イタリアのからすみ」を売るおじさんに試食させてもらったり、
 ムール貝を売るおじさんと会話したりして進んでいくと、開けた広場のようなところに屋台があった。
 名にし負うパレルモの茹で蛸屋さんだ。

 ちょっと怖そうなおじさんが携帯電話で誰かとしゃべりながら、美味そうに蛸を食べている。
 店のお兄さんに注文すると、茹でた蛸を皿の上に置き、
 食べやすい大きさにサッと切って出してくれた。

 レモンを搾るだけで、食す──。
 と、これが甘くて柔らか。地中海のほのかな潮の味がして、絶品なのだ。
 こてこてしたソースじゃなくてシンプルな味つけが好きなところ、イタリアと日本はほんとよく似ている。
 
 店のお兄さんに「美味しいね」と言うと、隣の怖そうなおじさんがにっこりした。
 こういうのもなんだか下町っぽくていい。

    *    *    *

 翌日、シチリア島の西端にあるマルサラという街を訪ねた。
 マルサラ酒はここで生まれたので、その名がついたのである。

 醸造所は港の近くにあり、太陽の光をたくさん浴びた葡萄畑が広がっていて、
 南国で造られるワインというのがよくわかる。

 すぐ北の街には塩田も広がっていて、
 このあたりが海と切っても切れない関係にあることが見てとれる。

 マルサラ酒が、ポートワインやシェリーと同じように、
 長い航海に耐えられる「海の酒」として生まれたというのが深く理解できる旅になった。

 文&写真:吉村喜彦&吉村有美子

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

    このライターの記事をもっと読む

関連記事