ハイボールには、オイルサーディン

『バー堂島』『ビアボーイ』などの著者、吉村喜彦氏の連載!
さかなと酒を味わいつくした吉村氏の言葉が、五感に至福を届けます。(Sakanadia編集部)

ハイボールには、オイルサーディン  文&写真:吉村喜彦

大阪のたそがれどきが好きだ。
ことに、蒸し暑い夏の夕暮れがいい。

まだ明るい時間に、開いたばかりのバーでハイボールを飲む。ただ、そのためだけに大阪に帰りたい。

ぼくが好きなのは、北新地にある『堂島サンボア』だ。
扉を開けると、外の炎熱とは無縁の、凛としたきれいな空気が広がっていて、白い上着に黒い蝶ネクタイ姿のマスターが静かにたたずんでいる。
堂島サンボアの長いカウンターはスタンディング・スタイル。立って飲むハイボールの美味さは格別だ。
普段だらしのないぼくのような人間にも、心地よい緊張感のようなものが生まれてくるから不思議だ。

最初の一杯は角のハイボール。

30年以上前、ぼくのハイボールの概念はこの店で大きく変わったが、その特徴は三つある。

1・グラスが独特。指でもちやすいように下端に凹みが入っている。
2・冷蔵庫でキンキンに冷えた角瓶と炭酸水(なぜかソーダというより、こちらのお店では炭酸水と言いたくなる)を使う。
3・氷は入れない。

10オンスタンブラーに角瓶の量は60㏄(ダブル)。あとはウィルキンソンの炭酸水で勢いよく満たし、レモンピールをシュッ。
コースターの上にサッとハイボールのグラスが置かれる。そのスピードも、爽快な味わいの一因かもしれない。

 *    *    *   

おつまみは、なんといってもオイル・サーディンだ。

マスターが缶詰めごと温めてくれたサーディンを頰張り、角のハイボールをぐいっ。

それを何度か繰りかえすうちに、しだいに陶然となっていき、気がつけば夕立が街を濡らし、土のにおいがしている。
ほっこりとしてコクのあるオイル・サーディンの味わいは、やさしい雨のようだ。しっとりとした情感が、大阪の日暮れどきによく似合っている。
ハイボールのグラスを傾けつつ、角瓶のボトルを眺めていると、少年時代、わが家では父が飲み終えた角瓶に麦茶を入れて飲んでいたことを思い出した。

当時、大阪の海沿いの町で暮らしていたが、その頃から大阪湾の埋め立てがはじまり、海は汚れ、白砂青松とうたわれた浜辺はなくなっていった。
幼い頃は大阪湾でとれたアサリやシャコを食べていたのに、徐々に食べられなくなった。とくにイワシは全国屈指の漁場として知られていた。大阪の海は、ぼくらの暮らしから遠のいていったのだ。

一昨年の秋、岸和田で大阪府鰮巾着網(いわしきんちゃくあみ)漁協の取材をさせてもらい、ほんとうに久しぶりに大阪湾に出た。

海は驚くほどきれいになり、イワシの漁獲も増えているという。
ぼくらの子どもの頃から考えると、夢のような話でうれしかったが、じつはきれいになりすぎるのも問題なのだと聞いた。

なかなかバランスというのは難しい。水清ければ魚棲まず、ということなのだろうか。

そうこうするうち、大阪市漁協のオイルサーディン缶をいただいた。大阪湾でとれたイワシをていねいに手詰めしたそうだ。
さっそく自宅で、あの堂島サンボアを見ならって、オイルサーディンを温めた。
ニンニクをみじん切りにし、鷹の爪をあしらい、塩胡椒をぱらりとかけて温め、パセリを振り、レモンを搾った。

角瓶を冷凍庫(サンボアは冷蔵庫)でキンキンに冷やし、炭酸水で割った。もちろん氷はなし。
大阪オイルサーディンは、ぷっくり太ったイワシがまるまる三尾入っていて、上品な脂がのり、かつ繊細な味わい。脂がのると、お腹のところが金色ぽくなるなので、金太郎イワシともいわれるそうだ。 

海の金太郎に、黄金に輝くハイボール。
これは、夏の大阪の必須アイテムだと思う。

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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