どぜうを食べに、浅草に  文&写真:吉村喜彦

浅草吉原を歩きまわって身体が芯から冷えた夕べ。
からだを温めようと、かっぱ橋「どぜう飯田屋」に向かった。

「どぜう」と書いて、泥鰌(どじょう)。

「どじゃう」では四文字で縁起が悪いから三文字の「どぜう」にしたという説もある。
そのあたり、じつに江戸っ子らしい。
当時から滋養食として食べられてきたが、カルシウムはウナギの約9倍(しかもカロリーは3分の1)。
そのほか、ビタミンD、タンパク質などが豊富に含まれている。
江戸のひとはそのことを経験知としてわかっていたのである。
まずは田んぼや湿地にいたどじょうを丸のまま、味噌汁に入れた「どじょう汁」として食べられのが始まりで、どんぶり飯に汁をぶっかけたものが人気だったという。
いまの牛丼みたいなファストフードで、せっかちな江戸っ子がいかにも好みそうな食べものだ。

*    *    *

どじょうは、俳句では夏の季語。
というのもサプリメントなどのない江戸時代、
体力の落ちる夏には、どじょうからさまざまな栄養をもらっていたからだ。
どこか愛嬌のある姿かたちのどじょうを、食べるためには殺さねばならない。
江戸のひとは、そのあたりの思いを川柳に詠んでいる。

念仏を四五へん入れる泥鰌汁

実際にどじょう鍋に入れるのは、ささがきゴボウとネギである。
ぼくが頼んだのは「まる」。

骨をとっていない丸のままのどじょう(1,850円)鍋。
骨をとって開いた「ぬき(骨ぬき))」(1,950円)もある。
鍋の味つけはあっさりとした醤油味の割り下。
「まる」か「ぬき」か、どちらを食すべきか。
それぞれ好みだが、どじょうに慣れてきたこのごろは、
「まる」のやわらかい骨の感触が好きだ。
心地よい歯ごたえがたまらない。

ささがきゴボウ
ネギ

「ぬき」を卵でとじた「柳川鍋」も美味しいが、
柳川という名前は、日本橋箔屋町の「柳川屋」という小料理屋の名をとったからとも、
福岡柳川産の鍋が使われたからとも、諸説あるようだ。
安政年間(1850~1860年)、どじょう汁は16文(約400円)、柳川鍋は48文(約1,200円)だった。
ちなみに飯田屋のどぜう汁は300円。柳川鍋は1,950円である。

作家・永井荷風は飯田屋が好きで、かならず柳川鍋、ぬた、お銚子1本を頼んだ。
なんと半年間に57回も通ってきたという。

*    *    *

七味と山椒をふって、どじょうを食べる。
今夜は寒いからビールなしで、最初から燗酒だ。
やはり、江戸の食べものには、下り酒。
江戸でも地廻り酒という地酒が造られていたが、
人気は灘や伊丹など上方からの下り酒だった。

醸造技術に圧倒的に差があったかららしい。
灘の水は中硬水で、しかも、水車で精米するので、精米比率が高く、上質の酒が造られた。
地廻り酒がスタンダードの酒とすれば、下り酒はプレミアム。
見栄っ張りの江戸っ子は下り酒に傾いたのかもしれない。

菊正宗の樽酒をぬる燗でいただく。

ああ、やはり辛口の菊正。最高である。

傍らで東灘・御影(みかげ)育ちの女房が、「菊正宗はわたしの地酒」とうれしそうに微笑んだ。
先日、訪ねた菊正宗の酒蔵に射していたやわらかい陽の光がおもわずよみがえる。
かじかんでいた手足にもあたたかい血がめぐってきた。

次は、そうだ、どぜうの唐揚げも頼もうか。

どぜうの唐揚げ

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

    このライターの記事をもっと読む

関連記事