四倉ホッキ貝と磐城壽                  文&写真:吉村喜彦、写真:いわき市漁業協同組合(一部提供)   

 福島県いわき市は、ホッキ貝の名産地だと最近知った。
 太平洋に面した四倉(よつくら)漁港で揚がるホッキ貝は絶品なのだという。
 四倉では戦前から戦後にかけてホッキ貝漁が盛んにおこなわれていたそうだが、
高度経済成長期に、工場排水や鉱山開発による環境汚染でその姿が消え失せていた。

 ところが1989年、約40年ぶりにホッキ貝の稚貝が確認された。
 以来、漁師たちは、この大切な資源を育み、次世代に宝の海を繋いでいこうと考えた。

 まずは貝が収穫できる大きさに成長するまで漁はせず、3年後から漁をはじめることにして、漁師たちは四倉ホッキ組合をつくり、各船主が共同出資。ホッキ漁のための船や設備の資金にあてた。

 また、ホッキ漁船の乗組員を3班に分け、3日に1回、漁の順番が回ってくるようにした。
 売上金の配分は、出漁日数に応じて決めた。
 漁に出る時間も班によって自由。
 メンバーの年齢体力にあわせて仕事をやってもらう。
 ホッキ漁は産卵期の2月~5月は禁漁。殻長(貝の左右の最大幅)7.5㎝以下のホッキ貝は獲らないルールもつくった。

     *    *    *

 四倉のホッキがおいしい季節は、7月~8月。
 刺身はもちろん、お薦めはホッキ飯だと漁師・佐藤文紀さんは言う。

 「ご飯と一緒に炊き上げるんです。ホッキ貝の香りがふんわり立ち上がり、うま味もつまっています。とくにお焦げが美味しいんですよ。親父なんかは、船の上で海水で米をといで、とれたてのホッキ貝でつくったそうです。でも……これだけ美味しいホッキ貝が、震災後に風評被害で東京市場での取り扱いが減ってしまったのがとても残念です」

 佐藤さんは震災後に漁師になったが、ずっと風評とたたかってきた。PRイベントを開催したり、さまざまな広報活動もおこなってきた。

     *    *    *

 さて。その四倉ホッキ貝。
 ひとくち刺身を食べる。

 やわらかい食感のなかから、甘みがじゅんと染みだしてくる。
 シコシコした歯触りが何とも心地よく、貝のうま味がふんわり残る。
 あわせる酒は、やはり磐城壽(いわきことぶき)。

 天保年間創業の蔵は、大震災と原発事故によって浪江のまちを離れざるを得なくなったが、移転先の山形県の長井蔵とともに、故郷・浪江の地でも酒づくりを再開した。
 「海の男酒」として親しまれてきた、土性骨のすわった酒だ。

 すっきりした飲みくちに、上品な米のうまみ。
 きれとコクの絶妙のバランスが、四倉ホッキ貝の美味さをさらに深めてくれる。

     *    *    *

 放射能をまき散らされた原発事故から12年。
 現在、福島はようやく通常操業になったが、震災前の状況にはまだ戻っていない。
 その矢先、関係者の理解が得られていない中、政府・東電はALPS処理水を放出しようとしている。
 あまりにひどい話だ。
 いままでの漁師たちの努力がまさに海の藻屑となってしまう──。
 みずみずしいホッキ貝と苦難をはね返して再生した磐城壽を噛みしめながら、あらためてそう思った。

文&写真:吉村喜彦、写真:いわき市漁業協同組合(一部提供)

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

    このライターの記事をもっと読む

関連記事