春はヴォンゴレ                    文&写真:吉村喜彦

 春は貝の季節。

 子どもの頃、家が大阪湾に近かった。
 まだ臨海工業地帯として埋め立てもされていず、白砂青松の浜が広がっていた。
 春になると、その浜で獲ってきたアサリを味噌汁にして、よく飲んだものだった。

 アサリはサハリン、北海道から九州、朝鮮半島、中国大陸沿岸に分布し、
潮間帯中部から水深10mの砂礫泥底に生息するそうだ。

 近年はアサリの漁獲が全国的に激減し、絶滅危惧種になる可能性もある危機的状況ともいわれている。
 かつてはどこの浜にもあった何てことのないアサリが、いまや貴重な貝になっていると聞くと、
なんともやるせない心地になる。

     *    *    *

 さて、そのアサリ。
 和食なら酒蒸し。
 洋食ならヴォンゴレのスパゲティだ。

 ヴォンゴレはイタリア語でvongole(単数形はvongola)。
 アサリやハマグリなどの仲間の二枚貝をさす。

 ヴォンゴレはロッソ(赤=トマトソース)もあるが、やはりビアンコ(白)が好きだ。
 ニンニクとイタリアン・パセリの風味がきいた、白ワインとオリーブオイルでつくるシンプルな料理。
 アサリの身はふっくらやわらか。うま味がしっかり残り、貝のエキスを吸ったパスタがまた美味しい。
 ヴォンゴレは春の海を感じる一品だ。

     *    *    *

 毎年この季節になると、青山のプーリア料理「リストランテ・コルテジーア」でヴォンゴレ・ビアンコを食べる。
 プーリアは南イタリアの、地図でいえば「かかと」にあたるエリア。
 海岸線は800㎞に及ぶという。

 十年ほど前にはじめて訪れ、南の明るい海とワイン、オリーブの美味しさにすっかりとりこになってしまった。

 イタリアの海辺はほどよい湿気と透明な光が射している。
 「なるほどイタリアの青は、こういう光から生まれるのだ」と納得できる空気だ。

 海のいろが違う。
 空の気配が違う。
 水のけしきが違う。

 胸の底深くまで染みとおるような、透きとおったブルーに移ろいゆく夕暮れどきが、ことにいい。
 外のテーブルで白ワインを飲みながら食すヴォンゴレは忘れがたい。

 もちろんワインはプーリア産。
 値段もリーズナブルで、しかも「おれがおれが」という妙な主張をしない。
 おのれの分をわきまえ、ヴォンゴレを影から支える ―― その姿勢が好きだ。

 すっきりとした味わいだが、酸味と果実味がしっかりあって、コクがある。
 コストパフォーマンスがひじょうに高い。

 もともとヴォンゴレは南イタリアで生まれた料理だそうだ。
 アサリが生まれ育った海の味が、プーリアの白ワインで引き立つのは、当然かもしれない。

 大好きなプーリアの港町・ガリポリで、夕映えを見ながら、また魚介を食べられる日を夢みている。

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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