いま、ここに、ハマグリのある幸せ  文&写真:吉村喜彦

「その手は桑名の焼きハマグリ」という洒落がある。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、主人公の弥次さん喜多さんは、
桑名で焼きハマグリを食べていた。

桑名といえばハマグリ。
ハマグリといえば桑名──完璧にその図式はできあがっている。

その桑名の赤須賀(あかすか)漁協組合長の水谷隆行さんに話を聞くと、
ハマグリ漁はなんと450年以上昔からこの浜で大々的にやっていたそうだ。

赤須賀は、木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)の河口域に位置している。
「ここの漁業はすべて木曽三川の恵みです」
と水谷さんは言いきる。

かつて河口域には豊かな汽水域と広大な干潟が広がっていた。
二枚貝やゴカイなどが水を浄化し、
産卵や幼稚魚を育む「海のゆりかご」になっていた。

ところが四日市にコンビナートができ、工場廃液で海が汚され、
木曽岬は埋め立てられて干潟は消滅。
木曽川の大堰によって河川流量が変化し、
火力発電所の温排水で海水温が上昇。

そして赤須賀周辺の環境を決定的に変えてしまったのが、
長良川河口堰(1994年)だった。

1971年には年間3,000トンも採れていたハマグリは、
1995年には1トン未満になり、絶滅の危機に瀕した。

         *    *    *

水谷さんたちは漁師のプライドにかけて、ハマグリ復活に動きをはじめた。

組合の青壮年部が中心となって、ハマグリ資源回復のため、
徹底した出漁制限や漁獲規制をもうけた。
独自に人工種苗生産の研究をし、
埋め立て工事と引き換えにつくった人工干潟に、稚貝をまき続けた。

水谷さんは言う。
「先人の残してくれた宝ものを後世に残していきたいんです」

まずは地域の人に漁師の仕事を知ってもらおうと、
小学校の給食メニューへの組み入れ、社会見学、出前授業、
ハマグリ稚貝放流や干潟体験もしてもらい、
市民とのつながりを大切にした。

水谷さんは、赤須賀の海は木曽三川とその上流の山々とつながっていると考え、
「山・川・海のつながり」も強めたいと思った。
そして岐阜県と三重県の山での植樹活動もはじめた。

人とつながり、大自然の大きな循環を意識することを30数年続け、
近年ようやくハマグリ再生の兆しは見えてきた。

         *    *    *

水谷さんのご自宅で、獲れたてのハマグリの酒蒸しをごちそうになった。
ハマグリが皿一杯に盛られている。

──こんなに食べられるなんて……。
おもわず絶句してしまう。
「どんどん食べてください。売るほどありますから」
我を忘れて食す。
ぷりぷりした肉からは、伊勢湾の海の水とハマグリの身のジュースが渾然一体となって弾け出した。

酒は「而今(じこん)」。
特別純米の無濾過生。
三重県名張の名酒である。

口に含むと、フレッシュで爽やかな米の香りがあり、
次いで自然な甘みと酸味がやってくる。
じつにバランスがいい。

透明感があって、ひかえめで、好感がもてる。
苦みは少なく、キレのよい喉ごしだ。
桑名のハマグリの上品なうまみと淡い苦みにぴったりだ。

ところで、而今というのは、どういう意味なんですか、とたずねると、
「過去にとらわれず、未来にとらわれず、
ただ、今ここで精一杯に生きる、という意味らしいよ」
水谷さんがこたえてくれた。

なるほど。
まさに、いまは、ここに桑名のハマグリが在る幸せの時ではないか。

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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