ニッポンさかな酒 いま、ここに、ハマグリのある幸せ 文&写真:吉村喜彦 2022.9.22 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ) 印刷する 「その手は桑名の焼きハマグリ」という洒落がある。 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、主人公の弥次さん喜多さんは、 桑名で焼きハマグリを食べていた。 桑名といえばハマグリ。 ハマグリといえば桑名──完璧にその図式はできあがっている。 その桑名の赤須賀(あかすか)漁協組合長の水谷隆行さんに話を聞くと、 ハマグリ漁はなんと450年以上昔からこの浜で大々的にやっていたそうだ。 赤須賀は、木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)の河口域に位置している。 「ここの漁業はすべて木曽三川の恵みです」 と水谷さんは言いきる。 かつて河口域には豊かな汽水域と広大な干潟が広がっていた。 二枚貝やゴカイなどが水を浄化し、 産卵や幼稚魚を育む「海のゆりかご」になっていた。 ところが四日市にコンビナートができ、工場廃液で海が汚され、 木曽岬は埋め立てられて干潟は消滅。 木曽川の大堰によって河川流量が変化し、 火力発電所の温排水で海水温が上昇。 そして赤須賀周辺の環境を決定的に変えてしまったのが、 長良川河口堰(1994年)だった。 1971年には年間3,000トンも採れていたハマグリは、 1995年には1トン未満になり、絶滅の危機に瀕した。 * * * 水谷さんたちは漁師のプライドにかけて、ハマグリ復活に動きをはじめた。 組合の青壮年部が中心となって、ハマグリ資源回復のため、 徹底した出漁制限や漁獲規制をもうけた。 独自に人工種苗生産の研究をし、 埋め立て工事と引き換えにつくった人工干潟に、稚貝をまき続けた。 水谷さんは言う。 「先人の残してくれた宝ものを後世に残していきたいんです」 まずは地域の人に漁師の仕事を知ってもらおうと、 小学校の給食メニューへの組み入れ、社会見学、出前授業、 ハマグリ稚貝放流や干潟体験もしてもらい、 市民とのつながりを大切にした。 水谷さんは、赤須賀の海は木曽三川とその上流の山々とつながっていると考え、 「山・川・海のつながり」も強めたいと思った。 そして岐阜県と三重県の山での植樹活動もはじめた。 人とつながり、大自然の大きな循環を意識することを30数年続け、 近年ようやくハマグリ再生の兆しは見えてきた。 * * * 水谷さんのご自宅で、獲れたてのハマグリの酒蒸しをごちそうになった。 ハマグリが皿一杯に盛られている。 ──こんなに食べられるなんて……。 おもわず絶句してしまう。 「どんどん食べてください。売るほどありますから」 我を忘れて食す。 ぷりぷりした肉からは、伊勢湾の海の水とハマグリの身のジュースが渾然一体となって弾け出した。 酒は「而今(じこん)」。 特別純米の無濾過生。 三重県名張の名酒である。 口に含むと、フレッシュで爽やかな米の香りがあり、 次いで自然な甘みと酸味がやってくる。 じつにバランスがいい。 透明感があって、ひかえめで、好感がもてる。 苦みは少なく、キレのよい喉ごしだ。 桑名のハマグリの上品なうまみと淡い苦みにぴったりだ。 ところで、而今というのは、どういう意味なんですか、とたずねると、 「過去にとらわれず、未来にとらわれず、 ただ、今ここで精一杯に生きる、という意味らしいよ」 水谷さんがこたえてくれた。 なるほど。 まさに、いまは、ここに桑名のハマグリが在る幸せの時ではないか。 文&写真:吉村喜彦 食育漁協(JF)漁師吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。このライターの記事をもっと読む
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