江戸前寿司には、江戸の酒  文&写真:吉村喜彦

 いちばん好きな寿司屋はどこか、と訊かれれば、
 ためらわず「弁天山美家古(べんてんやまみやこ)寿司 」とこたえる。 

 店は、浅草寺の近く。
 創業は1866年(慶応2年)。
 江戸前寿司の始祖・華屋与兵衛の流れをくむ「千住みやこ寿司」で修業した初代・金七が、
 浅草寺の鐘楼の下で浅草弁天山みやこ寿司を開いた。

 いま、つけ場には、五代目・内田正さんと六代目・山下大輔さんが立つ。
 「弁天山美家古寿司」は、江戸前寿司の古典的技法を守り続けている。

 煮る、蒸す、茹でる、ヅケ、昆布じめ、酢洗いなど、
 寿司ネタにはすべて下ごしらえがしてある。
 江戸時代、冷蔵庫などのない時代、
 下ごしらえをしないと、ネタはすぐ傷んでしまった。
 その伝統をいまも頑なに守り続けている。

 酢飯、ていねいに仕事をほどこされた寿司ダネ、新鮮なわさび、煮きり醤油。
 この四つのバランスが絶妙なのだ。

 しかも、店の雰囲気もいい。
 これほどの老舗でありながら、つけ場に立つ大将は威張らず、
 しゃしゃり出ることもない。
 つねに謙虚で、あかるい。
 お客の話をちゃんと聞く。

 これだけの味と雰囲気なのに、値段もリーズナブル。
 江戸から続く「町場の寿司屋」の空気感を保っているのが、いい。
 値段も打ち出し方も、妙に派手でチャラい寿司屋は性に合わない。

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 ぼくにとって寿司は「命の食べもの」である。
 というのも、寿司がなければ、ぼくは生まれてこなかったからだ。

 太平洋戦争前、ぼくの父は(幻の)東京オリンピックをめざして、
 日本大学水泳部の合宿所で暮らしていた。
 いまの学芸大学駅近くにその合宿所はあり、
 寿司好きだった父は、駅前にあった「玉川寿司」に通った。

 「玉川寿司」は、母の兄がやっていて、母はアルバイトをしていた。
 父は母に一目ぼれして店に通いつめたが、
 カネがないから、かんぴょう巻きをしきりに食べた。

 学徒出陣で戦争に出る前にふたりは結婚。
 父はなんとか生きて帰ってきて、その8年後にぼくが生まれた。

 わが家では、何かあると、母は必ずちらし寿司を作り、
 当然そこには、かんぴょう巻きも添えてあった。

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 久しぶりの弁天山美家古。

 拙著『江戸酒おとこ』刊行一周年を祝おうと、
 女房とふたりで出かけたのである。

 鯛、平目の昆布じめ、シマアジに赤貝、
 コハダにホッキ、鯵に車海老、蝦蛄にあなご、
 ヅケに玉子。
 そして、鉄火巻きとかんぴょう巻き。

 江戸前寿司に江戸酒おとこ、と来ると、飲むのは江戸(東京)の酒。

 「澤乃井」本醸造をまずは一合半。

  ── 本醸造ってのがいいね。
    シュッとして、フツーで、空威張りしてないのがいいやね。
    肩肘はらないのが、粋ってもんだ。

 天井から、江戸っ子の声が聞こえる。
 
 ほろ酔いになったところで、大将(山下さんは日本酒も詳しい)と少しお酒の話をして、
 サクッとお勘定。

 大川の風に吹かれながら、浅草をぶらり。

 本屋さんに挨拶。
 一年たっても、ずっと拙著を置いてくださっていて、
 浅草、そして弁天山は、ほんと、ありがたやまでした。

 文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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