水産業の新戦略 里海づくりの場に生まれ変わった日本最大級の運河 ーJF兵庫の「里海づくり」の取り組みー 2025.1.14 古江晋也(ふるえ しんや) 印刷する 里海づくりが取り組まれる兵庫運河神戸市兵庫区にある兵庫運河(新川運河、兵庫運河、兵庫運河支線、苅藻島運河、新湊川運河で構成)は水面積約 34 ヘクタール、全長約 6.5 ㎞もある日本最大級の運河です。運河が建設されたきっかけは、和田岬が航海の難所であり、嵐などで多くの船が難破してきたためです。1899 年 12 月に5つの運河全体が完成した兵庫運河は、運河沿いの工場から神戸港に荷物を運搬することなどに活用されました。 戦後は貨物船が大型化し、貨物船が運河に進入することが難しくなったことから、「貯木場」として活用されました。しかし、高度成長期になると工場や家庭排水の流入、川底へのヘドロの堆積などによって水質は悪化しました。そこで神戸市は下水の処理や工場排水の規制強化を実施したことに加え、運河周辺の企業などが「兵庫運河を美しくする会」(1971 年)を設立し、定期的な清掃活動などを行いました。これらの取り組みによって兵庫運河は、かつての面影を取り戻しました。 兵庫運河のアマモ場(写真提供:JF兵庫)現在の兵庫運河では、環境学習が活発に行われています。具体的には、2007 年から兵庫区の小学校の PTA が真珠を育てる「兵庫運河・真珠貝プロジェクト」を行ったり、兵庫漁業協同組合(JF 兵庫)が 2012 年から生き物調査を実施し、多くの生き物が生息できる里海づくりを始めたりしています。ここでは里海づくりに取り組む JF 兵庫水産研究会の活動を中心に紹介します。 漁獲減を受けて生き物調査を開始JF 兵庫水産研究会は JF 兵庫の組合員 10 人ほどがメンバーとなり、アマモの移植、アサリの生育実験などを実施しています。設立されたきっかけは、2010 年代初頭にイカナゴやシラスの漁獲高が減少するようになったためです。漁獲高の減少に危機感を抱いた漁業者は「何かしなければ立ち行かなくなる」と考え、将来のあり方を考える材料の一つとして地元の生き物調査を開始しました。 左からJF兵庫監事の佐々木徹さん、水産研究会会長の前田淳也さん、水産研究会メンバーの長谷川貴哉さん具体的には、海上保安庁から許可を受け、竹で作った粗朶沈床(そだちんしょう)を兵庫運河に設置しました。水産研究会のメンバーの多くは、「直立護岸であるため、生き物が生息できる環境ではない」と考えていました。しかし、秋に沈めた粗朶沈床を春に引き揚げてみると、エビ、小魚、コウイカの卵などが見つかりました。この結果に JF兵庫監事の佐々木徹さんは「兵庫運河には、名前もわからない生き物がこんなにたくさんいるんだ」と驚いたそうです。 粗朶沈床に多くの生き物が生息していたということは、兵庫運河で活動を行っている他の団体の関心を高めることとなりました。そこでJF兵庫は2013年に交流を深めてきた、兵庫運河を美しくする会、兵庫運河・真珠貝プロジェクト、兵庫・水辺ネットワークとともに「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」を組織し、地域ぐるみで自然再生や環境教育などの取り組みを、神戸市港湾局が造成した「浜っ子きらきらビーチ」にて開始しました(2016 年からは神戸市立浜山小学校も参加)。 地元の小学生に環境学習を行う水産研究会 (写真提供:JF兵庫)人工干潟「あつまれ生き物の浜」で行われるアサリの生育実験水産研究会は 2016 年からアサリの生育実験に挑戦しました。メンバーは、漁の合間に三重県や県内で貝類を養殖している漁協からヒアリングを行うことで知見を深め、アサリの稚貝を生育する垂下式筏を制作しました。 一方、同じ時期、メンバーの漁業者がたまたま兵庫運河の砂地でアサリを見つけました。このことを水産研究会に報告すると「兵庫運河でアサリが生息し続けているのであれば、このアサリを増殖させてみよう」という意見となり、垂下式筏による生育実験とともに、在来のアサリの成長も見守ることになりました。このアサリの生育実験には地域の人々も関心を示すようになり、神戸市立浜山小学校の環境学習に活かされることになりました。 地元の小学生と実施するアサリの測定調査(写真提供:JF兵庫)その後、2020年には近畿地方整備局神戸港湾事務所が防波堤の撤去工事で発生した石や砂を活用し、神戸市立浜山小学校の前に干潟を造成しました。この干潟は「あつまれ生き物の浜」と名付けられ、水産研究会は浜山小学校と連携して、アマモの移植やアサリの育成実験などに取り組んでいます。 アマモの移植は、漁業者が 4~6 月にかけて明石市の江井ヶ島などで種取りを行い、児童とともに水槽に種を撒きます。水産研究会メンバーの長谷川貴哉さんによると、種は「水深が胸のあたりまである藻場」で採取するそうです。種蒔きは、児童も一緒に行いますが、その際にはアマモの役割や生態系の重要さも説明します。水槽で育ったアマモの苗は運河に移植します。 アサリの生育実験では、春と秋にアサリの成長を記録します。具体的には、春に 3 年生の児童を班分けし、1つの班に 20 個のアサリを配り、網に入れてもらいます。そして半年ほど経過した秋に、網の中のアサリの大きさを計測します。アサリは半年ほどで 1 ㎝ほど大きくなりますが、なかにはアサリが 2~3 個ほど増えている袋もあります。このことに児童は大きな喜びを感じるそうです。 水産研究会会長の前田淳也さんによると、環境学習は「アサリがなぜ大きく成長したのかという要因を突き詰めるきっかけとなるため重要な取り組み」と話すように、さまざまな事象を分析する上で貴重な機会になっています。 明石市の江井ヶ島で種取りをさせてもらっている様子(写真提供:JF兵庫)高度成長期の兵庫運河は、水面に油が浮き、夏にはメタンガスが発生して悪臭がしたといわれています。しかし、排水規制の強化やさまざまな人々の努力などによって現在は、見違えるようになりました。私たちは「環境は一度悪化すると、生き物はいなくなる」、「都市で生き物が生息することは難しい」と考えがちですが、実はさまざまな生き物が厳しい環境でも命をつないでいます。 こうしたなか、水産研究会の活動は、「都市部にも多くの生き物がいること」と「里海としての機能がある」ことをさまざまな取り組みから証明してきたことが注目されます。 また、「あつまれ生き物の浜」の造成は、「老朽化した防波堤の撤去資材の廃棄に多額のコストをかけるのであれば、生き物のために使ってはどうか」という問いかけでもあり、都市部における生き物との共生を考える上でも大きな示唆を与えます。 漁協(JF)漁師資源管理近畿古江晋也(ふるえ しんや)株式会社農林中金総合研究所調査第二部主任研究員。 専門は地域金融機関の経営戦略の研究ですが、国産食材を生産し続ける人々と、その人々を懸命に支え続ける組織の取材も行っています。 四季折々の「旬のもの」「地のもの」を頂くということは、私たちの健康を維持するだけでなく、地域経済や伝統文化を守り続けることでもあります。 現在、輸入食材はかつてないほど増加していますが、地球温暖化や自然災害が世界的な脅威となる中、農水産物の輸入がある日突然、途絶える可能性も否定できません。 豊かな日本の国土や自然を今一度見つめ直し、今一度、農水産物の生産者や生産を支える組織の人々の声に耳を傾けたいと思います。 ▶農林中金総合研究所研究員紹介ページ 著書:『地域金融機関のCSR戦略』(2011年、新評論)このライターの記事をもっと読む
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