鯖寿司と京の酒   文&写真:吉村喜彦

酒癖がわるく、すぐ人にからむクセのあった詩人・中原中也は、あの太宰治にも絡んだ。
そのとき、こんなことを言ったそうだ。

「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」

さすが中原中也の言葉は的確だ。
このやりとりを知って以来、鯖をみると、
知らずしらず太宰治の顔が浮かぶようになった。

*    *    *

さて。
この夏、京都で鯖寿司を食した。
京都に美味しい食べものは多いが、わけても鯖寿司が好きだ。

京の都に、海はない。
そのむかし、魚はすべて塩漬けか干物でしか食べられなかった。

鯖もそうだ。
若狭で水揚げされた鯖にひとしおして、山を越えて京に運ばれてきた。
なので、この道は、鯖街道とよばれている。
都に着くまでの二、三日の間にちょうど良い塩加減になったそうだ。

いまもこの食文化が、鯖寿司として引き継がれている。
京都の鯖寿司は、祭りなどのハレの日につくられた家庭料理だったが、
おいしい鯖寿司屋さんもたくさんある。

*    *    *

立ち寄ったのは、祇園坂下にある鯖寿司屋さん。
鯖寿司は鯛、海老、穴子や卵のはなやかな押し寿司とともに
きれいに盛りつけて運ばれてきた。

江戸の寿司は客の前で握るが、京では客に職人の仕事は見せない。
完成品を提供する。醤油はつけずに食べる。

そんなこんな、江戸と京との文化の違いがある。
京の寿司が醤油普及以前の食べものだから、
醤油をつけないという説もあるそうだ。

*    *    *

包まれた昆布をにゅるりとはがして、鯖寿司をみつめる。

脂のノリがいい。身が透けている。
青みがかった銀色の皮がうつくしい。

極上の鯖は身がぴんぴんし、塩をしても酢をあてても、撥ね返すほどだという。

ひとくち食べる。

と、昆布のだしがきいた、鯖の滋味深い味わいが染みだしてくる。
上品な脂、酸味、魚肉のたんぱく、ご飯の甘い味わいが渾然一体となって、口のなかに広がる。

この店の酒は西宮の「白鹿」。
甘みのある寿司には、やわらかな口あたりのこの酒があう。

江戸の寿司とは酢飯もまったく違う。
江戸のシャリは一粒ひとつぶがきりっとしているが、
京はねっちりしている。
この店では、カツオと昆布のだしでご飯を炊くのだそうだ。

京寿司の特徴は「時差のおいしさ」といわれる。
下ごしらえに時間をかけ、すこし寝かせて食すのだ。

鯖寿司の昆布は食べないひとが多いようだが、
ぼくはこの昆布が好きなので、ぜんぶ食べてしまう。
けっこう酒に合うのだ。

*    *    *

先日、京都に旅をした友人が、鯖寿司をおみやげにくれた。
これに合わせたのは、もちろん京都の酒。

伏見の藤岡酒造の「蒼空(そうくう)」純米吟醸・雄山錦。
蔵元が杜氏を兼ね、すべて手造りの純米酒。
青空を見上げてホッとするように、
飲んだ人がやさしい気持ちになれるような酒を造りたいと、この名にしたそうだ。

たしかに、さわやかな秋空のような飲み心地。
鯖寿司の脂をさらりと落としつつ、魚の味とよく合う。

土地の食べものには、やはり、土地の酒。
もう、これ以上は書くまい。

太宰治がひょいと顔をだし、
「酒をかたむけて、酵母を啜るにいたるべからず」

そして、照れ笑いしながら続けた。
「そう、鴎外がうまいこと言ってるよ」

文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

    このライターの記事をもっと読む

関連記事