ニシンと生ビール   文&写真:吉村喜彦

 万年筆とスーツケースの調整のために銀座に行った。
 帰りに、久しぶりにビアホール・ライオン銀座七丁目店に立ち寄る。

 高い天井がいい。
 ゆったりとした席もいい。
 昭和のモダンな雰囲気がある。

 広々とした空間にたくさんひとが入り、
 楽しそうにジョッキを傾け、それぞれ話の花を咲かせているが、うるさくない。
 不思議と落ち着いた空気が流れている。

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 このビアホール。
 昭和9年(1934年)に開店以来、
 太平洋戦争の空襲にもあわず、創業当時と変わらぬたたずまいを見せている。
 まさに日本のビアホールの殿堂である。
 ビール麦の収穫をする人たちを描いた大壁画も圧巻だ。

 ここで飲む生ビールが、とにかく美味い。

 するする飲める。
 まったくのどに引っ掛かりがない。
 苦みがエグくない。
 ほのかなビターが、しっかりと舌を締めてくれる。
 爽やかだけれど、浮ついていない。

 ホップの上品な香りも心身をきれいにしてくれるよう。
 ぼくは、ここの生ビールが世界中でいちばん好きかもしれない。

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 ふつうのお店の生ビール・サーバーは、ビールと泡をべつべつに注ぐ。
 最初にビールの液体を。
 次に、シューッと泡をのせる。

 ところが銀座ライオンでは、
 「注ぎながら泡をつくる」ことに拘っている。
 伝統の「一度注ぎ」というそうだ。

 注ぎ口から出るビールを、傾けたジョッキに受ける。
 泡が広がる。
 液体は白っぽくなる。
 ジョッキをビールで満たすと、泡がビールの表面に上がってきた。
 そして、クリーミーな泡が黄金色の液体にふんわりとかぶさる。

 「一度注ぎ」のポイントは、
 ビールを注ぐときにジョッキの中でビールを回転させ、余分な炭酸ガスを抜くこと。

 雑味を泡に閉じ込めて、喉ごしすっきり、
 えぐい苦みのないビールに仕上がるという。

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 サッポロライオンの生ビールを味わっていると、
 デンマークのおいしいビールを思い出した。

 カールスバーグの取材に行ったとき、
 コペンハーゲンで食べた酢漬けニシンが美味しかった。

 と、店のメニューを探してみると、ある、ある。

 デンマークではスモーブローというオープンサンドが日常的に食べられている。
 ライ麦パンにバターを塗り、
 ディルや卵とともに酢漬けニシンが載せられることもあった。
 甘酸っぱく爽やかな風味は、北国の淡い青空によく似合っていた。

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 北海・バルト海沿岸地域(オランダ、ドイツ、スカンジナビア諸国)では、
 酢漬けニシンは古くから愛される伝統料理。

 このエリアの歴史には、じつはニシンが深く関わっている。

 13世紀から16世紀、ハンザという都市同盟(リューベックやハンブルクなどの都市)があった。
 北海・バルト海の貿易を掌握し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した。

 ハンザの経済的基盤にはニシン貿易があった。
 大衆的な食べものだったニシンを塩漬けにして
 ヨーロッパ各地に流通させ、巨万の富を築いたのである。

 脂の多いニシンは酸化しやすいので、
 内臓を取りのぞき塩漬けにし、樽詰めして長期保存することを考えたのだ。

 ところが、ニシンは回遊魚なので、
 そのルートがバルト海から北海(オランダの沖合)に変わり、
 やがてハンザ同盟は衰退していく。

 かわりにヘゲモニーを握ったのはオランダだったが、
 その後、ニシン漁の件で、イギリスともめ、経済的覇権も失っていった──。

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 そんなこんなを思いながら、酢漬けのニシンをつまみながら飲む生ビール。

 オランダもドイツもデンマークもビールが美味い。
 酢漬けニシンを食べながらビールを飲むのは、
 長い歴史が息づくマリアージュなのだ。 

 それにしても、この店のビールは美味い。

 文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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