赤身の美味しさを追求したクロマグロ「伊勢まぐろ」

伝説の地の新たな名物「伊勢まぐろ」

三重県南伊勢町神前浦(かみさきうら)は、天照大御神の鎮座の場所を探して旅を続けた倭姫命(やまとひめのみこと)が休息をとった腰掛岩の伝承のある土地です。神前浦は、熊野灘に面したリアス式の海岸が続く、波の穏やかな水域であり、南西諸島周辺で生まれたクロマグロの稚魚が黒潮にのり、接近する場所でもあります。この神前浦の吉津湾で育てられたクロマグロが「伊勢まぐろ」です。

「伊勢まぐろ」の特徴は、赤身、中トロ、トロという3つの部位がはっきり分かれ、それぞれの味わいが楽しめることと「赤身の美味しさ」にあります。

各部位が美味しい「伊勢まぐろ」(写真提供:JF三重漁連)

この理由は、吉津湾が国内のクロマグロ養殖場のなかで最も北東に位置し、海水温が低いことに加え、潮流が速いという環境で育てられるからです。このことによって「伊勢まぐろ」の身が引き締まり、滑らかな食感となります。

また餌は、ゴマサバなどの新鮮な近海魚だけでなく、凍結した近海魚とハーブの入った粉末配合飼料を混ぜたペレット状の餌(モイストペレット)を与えます。さらに配合餌料の調合はカロリーベースによるデータ管理が行われていることから、臭みのない身質となります。

このような美味しさに加え、生産面での環境や生態系への適切な措置、流通面での安全安心な管理体制などが評価され、「伊勢まぐろ」は2017年に養殖エコラベル(AEL)の認定を受けました。

クロマグロは飼育の難しい魚

「伊勢まぐろ」を育てているのは、三重県漁業協同組合連合会(JF三重漁連)および県内の漁協系統が参加し、2011年に設立された株式会社ブルーフィン三重の社員です。

ブルーフィン三重では、吉津湾の水深30mほどの場所に円形の生け簀を最大で約18台設置します。生け簀の大きさは、直径50m、深さ25mと大型です。1台につき約2000尾くらいの稚魚を育てます。

吉津湾の生け簀(写真提供:JF三重漁連)

クロマグロは他の養殖魚と違い、飼育の難しい魚です。具体的には、クロマグロはマダイなどと異なり、成長に合わせ、他の生け簀に分ける「分養」を行うことができません。そのため一度生け簀に入れたら出荷まで同じ生け簀で育てますが、後に生け簀内が過密とならないよう、最初から稚魚の数を制限しておきます。

ブルーフィン三重で使用する稚魚の多くは、熊野灘近海で1匹ずつ釣り上げられたものであり、政府が実施しているクロマグロの資源管理に従い、養殖する稚魚の総数も厳格に制限しています。

クロマグロ稚魚は、配合飼料をなかなか食べないという問題があります。ブルーフィン三重は、前述したようにモイストペレットを飼料会社とともに開発し、身質の向上に取り組みました。

またクロマグロは音や光に敏感です。過去には雷に驚いたクロマグロが生け簀のなかで暴れたこともあったそうです。クロマグロ用の生け簀は大型でかつ移動ができませんが、個体によっては台風などの荒天時に暴れて魚体に擦れができるなど、天候による弊死リスクもあります。

これらさまざまな要因が、クロマグロの飼育を難しくしています。

生け簀のなかのクロマグロ(写真提供:JF三重漁連)

わずか3分の作業により鮮度保持

クロマグロの養殖は作業も大がかりです。餌は、午前と午後に1日2回、ゆっくりと与えます。うち、1回はモイストペレットを与えます。モイストペレットは、近海の魚と粉末配合飼料などを船に積み込み、魚の大きさに合わせて作ります。1日に与える餌の量は、魚の体重の5~10%程度と、季節や魚体をみながら変化させています。

魚の成長に合わせて作られるモイストペレット(写真提供:JF三重漁連)

ところで、ブルーフィン三重では、社員の安全確保ために、作業時のヘルメット着用、動作確認、朝礼での連絡、職員の健康管理など基本的なことを徹底しています。また、社員の研修も行い、緊急時のAED操作法の習得や潜水作業を行う社員には潜水士免許の取得などの機会を設けています。24時間監視カメラで漁場を確認していることも緊急時の早期発見につながります。

クロマグロの健康を守るため、生け簀の網の洗浄も欠かせません。水中網洗浄機を清掃担当の社員が遠隔操作し、4~6日かけてようやく生け簀1台の洗浄が終わります。なお、網が破れたときは、水中で作業をしなければならず、とても大変です。このように「伊勢まぐろ」は出荷サイズ(おおよそ50㎏以上)になるまで約3年間かけて大切に飼育されます。

「伊勢まぐろ」の給餌の様子(写真提供:JF三重漁連)

出荷時は、生け簀から1匹ずつクロマグロを釣り上げることから始まります。血抜きや内臓等の除去を行い、一連の作業を即座に終えます。その後クロマグロは、JF三重漁連南伊勢水産流通センターにて1尾ずつ計量され、冷却海水と細かく砕いた氷で十分に冷やされた状態で加工・出荷されます。このような短時間の処理と冷やし込みにより、「伊勢まぐろ」の鮮度が保たれているのです。

陸揚げされた「伊勢まぐろ」(写真提供:JF三重漁連)

地元と共存共栄のために

地元の漁業者は、ブルーフィン三重のクロマグロ養殖事業に大きな期待を寄せ続けてきました。それはこの事業が「低迷する地元水産業の再生の切り札になるのでは」という思いからでした。現在では、クロマグロ養殖をすることにより、クロマグロ稚魚や餌を採捕する漁業が成り立つとともに、凍結した餌を一定量保管することで、他の養殖業者もモイストペレットが利用できるなど、その波及効果も広がっています。

またブルーフィン三重にとってもクロマグロ養殖を進めていくうえで、地元の人々の協力が欠かせません。例えば、生け簀を設置する際には、地元の漁業者が土嚢を搬入するなどの設置作業や、地元の漁業者が漁船で近くを通るときは、クロマグロを驚かさないように運行速度を抑えてもらったりするなどです。そのためブルーフィン三重は「誠実と和」という社是が示しているように、地元漁業者との共存共栄、漁船漁業との連携、漁場を守ることが自社の存在意義であると捉えています。

計量される「伊勢まぐろ」(写真提供:JF三重漁連)

初心を忘れず、正直なものづくり

2013年、JF三重漁連は地元の大きな期待を受け、「伊勢まぐろ」を初出荷しました。その際、宣伝ポスターにも力を入れ、倭姫にちなみ、若い女性と「伊勢まぐろ」が並んだデザインとしました。これが市場関係者やメディアの目にとまり、地元のテレビ局が「伊勢まぐろ」を取りあげるなど注目が集まりました。

「伊勢まぐろ」がテレビや雑誌で紹介されるようになると、同漁連指導部長の植地基方さんは、地元の飲食店と協議し、地元で「伊勢まぐろ」を使った丼ものを「神前丼」(かみさきどん)として、提供できるように供給体制を整えました。現在、「伊勢まぐろ」は南伊勢町のふるさと納税の返礼品の1つになるなど、地元に根差した食材のひとつになっています。

ブルーフィン三重、JF三重漁連は、毎年、伊勢神宮の外宮の御祭神である豊受大御神の前で宣誓書とともに「伊勢まぐろ」を毎年奉納し、クロマグロ養殖を始めたときの初心を忘れず、養殖への真摯な思いを誓っています。

吉津湾の夕焼け(写真提供:JF三重漁連)
  • 田口 さつき(たぐち さつき)

    農林中金総合研究所主任研究員。専門分野は農林水産業・食料・環境。   日本全国の浜を訪れるたびに、魚種の多さや漁法の多様さに驚きます。漁村には、お料理、お祭り、昔話など、沢山の文化があります。日本のなかには一つも同じ漁村はなく、魅力にあふれています。また、漁業者は、日々、天体、潮、海の生き物を見ているので、とても深い自然観を持っています。漁業者とお話をしていると、いつも新たな発見があります。   Sakanadiaでは、そんな漁業者の「丁寧な仕事をすることで、鮮度の高い魚介類を消費者の食卓に届けよう」という努力や思いをお伝えできればと、思っています。   ▶農林中金総合研究所研究員紹介ページ

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