伝統のシロエビ漁でガッチリ稼ぐ【後編】“漁師嫌い”から親方へ

「子どものころは漁師がきらいだった」

頼もしい親方としての野口さんの姿からは想像できない言葉だったが、子どものころは漁師になりたいと一度も思ったことがなかったという。潮の臭さや、魚しか出ない食卓、休みの日まで網仕事をする几帳面な父の姿。その上父はいつも「海の怖さ」を野口さんに話した。それでも「地元は好き」という野口さん。「原風景は内川沿いの家の前に親父の船が入ってくるところ」と目を細めた。

幼少時代を振り返る野口さん、漁協の会議室で

高校時代は大好きな野球に没頭した。推薦で京都の立命館大学に入学。卒業をしたら富山に帰ることを父と約束し、大学に進学した。

父は後を継いでほしいと言ったことがなかったが、「漁師の息子なら船ぐらい動かせたほうがいいんじゃないか」と促され野口さんは大学在学中に船舶免許を取った。「もしかしたらうまいこと誘導されたのかもしれない」と野口さんは笑う。

周りの船と無線で会話をしながら、整然としたブリッジで

大学卒業後は約束通り富山に戻り、地元の製造会社の営業職に就いた。ところが自ら手を挙げ、愛知の営業所に転勤し、同時に大学の同級生だった女性と結婚。「若い頃って都会で暮らしたいでしょ(笑)」と20代のサラリーマン時代を振り返る。

家業を継ごうと再び地元に戻ったのは30歳の時。入退院を繰り返す父の体調や乗組員の生活を考えると、いずれ誰かが継がなければいけないのではないかと、学生の頃からぼんやりとは考えていたが、30歳という節目に踏ん切りをつけた。

野口さんの独り立ちとともに新造した「正㐂丸(しょうきまる)」

最年少の親方として独り立ち

30歳から約7年間は、親方をする父と一緒に乗組員として漁業に従事した。38歳の時、ちょうど今の正㐂丸を新造しているときに父の体調が悪化し、独り立ちの時は突然訪れた。当時のシロエビ漁家の中で最年少の親方となった。「実際に親父に指導してもらい、親方として船を動かす練習は1カ月ぐらいしかできなかった」。“やってはいけないこと”を覚えるので精いっぱいだったという。「ちょっとした変化に気付いてほしい」という父の言葉が頭に残る。父は結局新しい正㐂丸には一度も乗れなかった。

作業をしながら笑顔で仲間と会話をする野口さん

「自分で考えるようになって初めて漁師だ」と野口さん。父が亡くなり頼る人がいなくなってからは、分からないことがあると、とにかく自分でどうにかしなければならなかった。最初のころは網を入れて揚げるだけで精いっぱいだったという。ほとんど経験がなかった底引き網漁は、仲間の船に乗せてもらい一から教えてもらった。先輩と飲んでいて漁の話になると、こっそり携帯にメモをとったこともある。常に笑顔で話す野口さんは「みんなにかわいがってもらっている。親父はこんな感じじゃなかったけど」と話す。

一年一年積み上げてきた技術と、サラリーマン時代に磨いたコミュニケーション力で自分なりの正㐂丸を作り上げてきた。

資源保護のため、この日2回目は出漁せず 荷捌き場のホワイトボード

水揚げも技術も仲間とシェアする「プール制」

プール制を導入しているJF新湊のシロエビ漁は、5隻ずつ2班に分かれ一日おきに漁を行う。全体の水揚げ量を調整しながら、水揚げ金額をプールし、各船に均等に配分する仕組みだ。昔からこの方法で過度な漁獲競争を抑え、資源を維持してきた。「資源管理をするためにプール制はメリットが多い」と野口さんは言う。安定した漁獲に加え、ブランド化が功を奏し、今やシロエビ漁は地域でも有数の稼ぎだ。「今日たくさん捕れても、網一回分で終わらせる」。浜値の安定と、持続的な資源の利用を考え、網入れ回数も制限している。

野口さんの口から何度も「仲間だから」という言葉が出た。まさに野口さんが一番つらかったという独り立ちの時も「仲間」が助けてくれた。水揚げもコストもシェアし合うプール制の波及効果だ。

野口さんの父をはじめ、先代の漁師たちが苦労して築いてきたこの仕組みが、知識と技術を漸進させ、今も若い漁師たちを浜にとどめているのだろう。

富山県の漁協青年部の団体で代表者に再任

まだまだ勉強!

2018年度から全国漁青連の役員になり、日本全国の若手漁師たちと交流を持つようになった野口さんは、各地の青年部がさまざまな活動をしていることを知った。「とても刺激になるし、勉強にもなる」と限られた漁の合間で東京に集まる全国漁青連の仲間たちとの時間を振り返る。

仲間の活動を知ったことで、「魚を捕る」ことだけを考えていてはだめだと思った。特に、富山湾でシロエビを捕る漁師として、資源管理は自分たち自身がしっかりとやっていかなければならないと感じている。「いいものを捕らせてもらっている。でも、海の環境しだいで一気に変わるかもしれない」。漁が安定している今だからこそ、富山湾のシロエビ漁の将来をみんなで考えていきたいと野口さんは将来を見据える。

全国漁青連の役員として、東京の研修会でもリーダーシップを発揮

野口さんが部長を務めるJF新湊青年部は年に一回開催される海鮮祭で、仲買の青年部たちと協力し水産物の販売を行っている。また、JAの青年部との連携も始まっているという。まさに漁業が地域を支える新湊で、野口さんは若手のリーダーとして地域をけん引している。

人当たりがよく社交的な野口さんだが、「漁の腕前も、まだまだ磨きたい。人ができることを自分ができないと悔しいでしょ」と、雄々しい漁師の一面も印象的だった。

JF新湊のシロエビはここで食べられます!
JF新湊女性部食堂

  • JF全漁連編集部

    漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebook

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