漁師と働くひとたち 地域づくりの担い手はミュージシャン 2019.12.27 JF全漁連編集部 印刷する JF三重外湾尾鷲事業所早田職員 湯浅光太さん(2013年2月撮影)小さな漁村のある朝の光景。水揚げされた魚を仕分け計量する職員や漁師に交じり、地元の女性たちが魚を選ぶ。 2月初旬の凍り付いたような寒さの中で、そこだけ息吹が見えてくるような朝日が照らす世界に、湯浅光太さんがいる。 小さな町・早田(はいだ)町湯浅光太さん――事務所にて「小さな事務所に3人の職員。なんでもやりますよ」と笑う湯浅さんの一日は、㈱早田大敷の水揚げから始まる。 その後、事務作業や尾鷲事業所、本所などとのやりとり、国や県の事業も担当しているため、忙しい日々を送る。 三重県尾鷲市早田(はいだ)町は、尾鷲市から国道311号線を走ること約20分。国道から支線に入ると、山の切れ目から海の水面が見える。 早田町の主要道路はこの道一本のみ。家や山が迫る細い道が続き、海にぶつかる手前左にやっとJF三重外湾尾鷲事業所早田の事務所があり、そこにある購買部が、町唯一の小売店だ。 漁業が早田の唯一の産業(2013年2月)魚の美味しさは世界一!「尾鷲の魚は美味しいんです。特に早田は!」と嬉しそうに語る。 忙しい仕事が終わったあとの楽しみは、自分でさばいた魚料理を肴にお酒を飲むこと。 料理を自身のFacebookにアップすると、あっという間にコメントが並ぶ。 魚料理が得意な湯浅さん。特に絶品なのが、その日揚がった魚を使った「なめろう」。 漁師が皿をなめるほど美味しいというのがその名の由来だが、湯浅さんの「なめろう」は、まさにその名の通りの美味しさだ。 大きなまな板いっぱいに「なめろう」(湯浅さんのFacebookより)「幸せになるために尾鷲に戻る」高知大学で近現代文学を学び、名古屋で就職した。 結婚して長女が生まれたとき、自分が生まれ育った尾鷲で育てたいと、ふと思った。父親の体調も思わしくなかった。 当時にお世話になった方が背中を押してくれて、尾鷲に戻った湯浅さん。「子どもも生まれたばかりなのに、こんな仕事もない田舎に帰ってきて大丈夫か」と、母親から心配された。それでも「幸せになるために尾鷲に戻ってきた」と説得した。 「孫にはとてもやさしい、自慢の母でした。今年七回忌を済ませたところです」 「漠然とだけど、尾鷲や早田の魅力を情報発信していきたい」と考えていた湯浅さんは、塾の講師を経て2010年、「ふるさと雇用再生事業」を受託したJF早田(当時)で、働き始めた。 早田は母親の実家がある町で、「子供のころからお世話になった場所に恩返しがしたかった」という。 早田で働くうちに、魚の美味しさや自然の美しさを実感する一方で、年々減り続ける人口に「このままでは町がなくなってしまう」と危機感を覚えた。 朝日に照らされて早田大敷の漁船が戻ってきた(2013年2月撮影)地域の担い手づくりとして――早田を残すため、岩本芳和JF早田組合長(現・㈱早田大敷代表取締役)が中心となって県や市、大学などと連携し2010年に設立された「ビジョン早田実行委員会」に参加し、担い手対策などに奔走する。 2012年にはJF尾鷲(当時)が立ち上げた「早田漁師塾」の実働部隊として参画。漁師塾は現在8年目を迎えるが、これまで11人が入塾し、3人が早田に残っている。 ただ、早田は後継者育成だけでなく、高齢者にもやさしい地域。早田大敷で定年を迎えた漁師も、小型定置網やイセエビ刺し網で生計を立てられる。地域全体を守ろうと、湯浅さんは日々奔走している。 地元の漁港イベントで歌う湯浅さんそんな湯浅さんには、もうひとつの顔がある。ミュージシャンとしてライブを開いたり、イベントなどで歌って地域を盛り上げているのだ。さまざまな仕事をこなしながら、余暇もしっかり楽しむ。 人口減少はなかなか歯止めがかからないが、早田に「限界集落」という言葉が持つ寂しさはなかった。 若い人から高齢者まで活躍する早田へ(2013年2月撮影)こうちゃんの早田ブログ(アーカイブ) 湯浅光太さんFacebook 漁協(JF)Iターン・Uターン近畿JF全漁連編集部漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebookこのライターの記事をもっと読む
船長に憧れた少年がJF東安房の職員になって目指すもの千葉県南房総市にある東安房漁業協同組合(JF東安房)で、水揚げ業務から入札、漁船への給油など、幅広い業務をこなす山口知也さん。幼い頃から父親が船に乗り働く姿に憧れていたが、とある事情で「漁協で働く」と2024.10.10漁師と働くひとたちJF全漁連編集部