地域づくりの担い手はミュージシャン

JF三重外湾尾鷲事業所早田職員 湯浅光太さん

(2013年2月撮影)

小さな漁村のある朝の光景。水揚げされた魚を仕分け計量する職員や漁師に交じり、地元の女性たちが魚を選ぶ。

2月初旬の凍り付いたような寒さの中で、そこだけ息吹が見えてくるような朝日が照らす世界に、湯浅光太さんがいる。

小さな町・早田(はいだ)町

湯浅光太さん――事務所にて

「小さな事務所に3人の職員。なんでもやりますよ」と笑う湯浅さんの一日は、㈱早田大敷の水揚げから始まる。

その後、事務作業や尾鷲事業所、本所などとのやりとり、国や県の事業も担当しているため、忙しい日々を送る。

三重県尾鷲市早田(はいだ)町は、尾鷲市から国道311号線を走ること約20分。国道から支線に入ると、山の切れ目から海の水面が見える。

早田町の主要道路はこの道一本のみ。家や山が迫る細い道が続き、海にぶつかる手前左にやっとJF三重外湾尾鷲事業所早田の事務所があり、そこにある購買部が、町唯一の小売店だ。

漁業が早田の唯一の産業(2013年2月)

魚の美味しさは世界一!

「尾鷲の魚は美味しいんです。特に早田は!」と嬉しそうに語る。

忙しい仕事が終わったあとの楽しみは、自分でさばいた魚料理を肴にお酒を飲むこと。

料理を自身のFacebookにアップすると、あっという間にコメントが並ぶ。

魚料理が得意な湯浅さん。特に絶品なのが、その日揚がった魚を使った「なめろう」。

漁師が皿をなめるほど美味しいというのがその名の由来だが、湯浅さんの「なめろう」は、まさにその名の通りの美味しさだ。

大きなまな板いっぱいに「なめろう」(湯浅さんのFacebookより)

「幸せになるために尾鷲に戻る」

高知大学で近現代文学を学び、名古屋で就職した。

結婚して長女が生まれたとき、自分が生まれ育った尾鷲で育てたいと、ふと思った。父親の体調も思わしくなかった。

当時にお世話になった方が背中を押してくれて、尾鷲に戻った湯浅さん。「子どもも生まれたばかりなのに、こんな仕事もない田舎に帰ってきて大丈夫か」と、母親から心配された。それでも「幸せになるために尾鷲に戻ってきた」と説得した。

「孫にはとてもやさしい、自慢の母でした。今年七回忌を済ませたところです」

「漠然とだけど、尾鷲や早田の魅力を情報発信していきたい」と考えていた湯浅さんは、塾の講師を経て2010年、「ふるさと雇用再生事業」を受託したJF早田(当時)で、働き始めた。

早田は母親の実家がある町で、「子供のころからお世話になった場所に恩返しがしたかった」という。

早田で働くうちに、魚の美味しさや自然の美しさを実感する一方で、年々減り続ける人口に「このままでは町がなくなってしまう」と危機感を覚えた。

朝日に照らされて早田大敷の漁船が戻ってきた(2013年2月撮影)

地域の担い手づくりとして――

早田を残すため、岩本芳和JF早田組合長(現・㈱早田大敷代表取締役)が中心となって県や市、大学などと連携し2010年に設立された「ビジョン早田実行委員会」に参加し、担い手対策などに奔走する。

2012年にはJF尾鷲(当時)が立ち上げた「早田漁師塾」の実働部隊として参画。漁師塾は現在8年目を迎えるが、これまで11人が入塾し、3人が早田に残っている。

ただ、早田は後継者育成だけでなく、高齢者にもやさしい地域。早田大敷で定年を迎えた漁師も、小型定置網やイセエビ刺し網で生計を立てられる。地域全体を守ろうと、湯浅さんは日々奔走している。

 

地元の漁港イベントで歌う湯浅さん

そんな湯浅さんには、もうひとつの顔がある。ミュージシャンとしてライブを開いたり、イベントなどで歌って地域を盛り上げているのだ。さまざまな仕事をこなしながら、余暇もしっかり楽しむ。

人口減少はなかなか歯止めがかからないが、早田に「限界集落」という言葉が持つ寂しさはなかった。

若い人から高齢者まで活躍する早田へ(2013年2月撮影)

こうちゃんの早田ブログ(アーカイブ)
湯浅光太さんFacebook

  • JF全漁連編集部

    漁師の団体JF(漁業協同組合)の全国組織として、日本各地のかっこいい漁師、漁村で働く人々、美味しいお魚を皆様にご紹介します。 地域産業としての成功事例や、地域リーダーの言葉から、ビジネスにも役立つ話題も提供します。 SakanadiaFacebook

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