ニッポンさかな酒 くさやには大島の酒「御神火(ごじんか)」 文&写真:吉村喜彦 2023.1.19 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ) 印刷する 伊豆諸島の「さかな」と言えば、くさや。 大島はその発祥地の一つといわれる。 先日、はじめて大島に行き、波浮(はぶ)港周辺に、くさやの製造所が集まっていることを知った。 波浮港といえば、都はるみの名歌「アンコ椿は恋の花」で有名なあの港である。 島に三軒あるくさや屋さんの一つ、「くさやの小宮山」を営む小宮山正(こみやまただし)さんに話をうかがった。 どうしてくさや工場はこの辺りに集まっているんですか? 「かつて波浮港は遠洋漁業の中継港として賑わっていました。漁船もたくさん停泊して、水揚げも多かった。港の南20㎞にある大室(おおむろ)ダシに魚がいっぱい集まってきていたんです。で、自然とそこにくさや工場ができていったわけです」 くさや製造は三日がかり。魚はムロアジやアオムロを使うことが多いそうだ。 一日目はムロアジの内臓を取ってさばき、二日目は、さばいたムロアジを水で洗い、くさや液にひと晩漬けて、三日目に完成する。 くさや液の一滴は血の一滴と言われるくらい大切にされ、地下タンクに貯蔵されている。漬けこみのときにパイプで地上まで汲み上げられるそうだ。 「地下は温度が低く、一定していますからね。外気にさらしていると、くさや液の品質が変わってしまいます。ちょっと舐めてみますか?」 指先にくさや液をつけて、テイスティング。 と、まったく塩辛くない。意外に、くさくもない。まろやかなうま味を感じる。 「塩分濃度6%。しょっぱくないでしょ? ふつうの干物が18%くらい。くさや液の濃度は薄いんです。島によって濃度はちょっとずつ違うみたいですが」 * * * 江戸時代、大島は田畑が少なく、人々は年貢を塩で納めていたそうだ。 塩と魚が大島の産物だったが、釣った魚は塩漬けの干物にして江戸に運んでいた。 冬の大島は風が強く、漁に出られない日々が続く。もともと島の人たちは夏にたくさん獲ったムロアジを塩水に浸し、天日で干して保存食としていた。 ところが塩は貴重品である。節約しなければならない。干物にするにも、ふんだんに使うわけにはいかない。 島人たちは干物に使うたいせつな塩水を捨てずに、繰りかえし使い続けた。 そうしてできた干物は腐ったような臭いになったが、食べてみると、あら不思議、うま味があってとても美味しかった。 魚についていた微生物やエキスが塩水に溶けこみ、発酵熟成して、干物のうま味を増していたのである。 この使い続けた塩水が、くさや液になり、くさやが誕生したという。 また、雨が多く、冬は暖かく夏は涼しい大島の気候がくさや作りにぴったりだった。 くさや菌が繁殖するには温暖多雨な環境は最適なのだ。 「くさやを素手で扱っていると、切り傷なんかすぐ治ります。ぜったいに化膿しません。くさや液の微生物が、ほかの菌を寄せ付けないんでしょうね」 そう言って小宮山さんが見せてくれた手は、すべすべだった。 * * * そんなくさやに合わせるには、島唯一の酒造所=谷口酒造のつくる「御神火(ごじんか)が一番だ。 谷口酒造三代目の谷口英久(えいきゅう)さんが、ひとりで仕込み・蒸留・瓶詰めまでの製造をする、まさに酒造りの原点のような焼酎(麦も芋もある)だ。 谷口さんは、仕込みの際、モーツアルトのレクイエムをもろみに聞かせているという。 そのせいか、香りが透きとおっていて、驚くほど、きれいな酒だ。アフターテイストも素晴らしい。 サツマイモをベースにした大らかな甘みに、麦の繊細さがあわさった、癖になる味わい。クセになる大島のくさやには、この焼酎はぴったりだ。 口のなかで、くさやの重いパンチのきいた複雑な香味をかみしめながら、「御神火」のお湯割りをひとくち。 すると、三原山の山裾に立ち込めた霧が晴れていくような爽快感とともに、小春日のようなあたたかさが、心身に訪れる。 まさに、島の幸せに酔えるマリアージュ。 ぜひ、ぜひ、お試しあれ。 文&写真:吉村喜彦 酒関東吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。このライターの記事をもっと読む
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