ニッポンさかな酒 小田原・アジな旅 文&写真:吉村喜彦 2026.6.19 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ) 印刷する 初夏の一日、小田原に遊んだ。 新幹線をつかえば、東京の自宅から1時間ほどの距離だ。 東海道線で小田原の次、早川駅で降りると、 すぐ近くに漁港と小田原市漁協がある。 拙著『漁師になろうよ』の取材時に、 こちらの漁協で漁師カッパの上下を買い、 米神(こめかみ)の巨大定置網での漁に同行させてもらった。 そのときインタビューした漁師は、 いま定置漁の漁労長をされている。 たしか、2000年の初冬だった。 漆黒の闇につつまれた午前一時半に港を出発。 夜明け前に港にもどり、 漁師がつくってくれた魚料理を食べさせてもらったが、 その美味しさが忘れられなかった。 小田原の魚はうまい、という定式がこのときでき上がり、 東京の慌ただしいリズムに疲れると、 この浜に、ふっと息抜きに向かうのだ。 * * * 通りをみどりの風が吹きすぎていく。 梅雨入り前の小田原は明るい陽光にあふれていた。 漁港の周りにはたくさんの食堂がある。 そのうちの一軒「やまや」に入った。 ぼくの小説『江戸酒おとこ』の舞台となった 浅草の酒蔵「山屋」と同じ名前である。 何かご縁があるに違いない。 暖簾をくぐって、店に入る。 カウンターのみの小さな店は、女性4人で切り盛りしていた。 オーダーしたのは「鯵セット2200円」。 アジのたたき丼に、アジ・フライ2枚、アジ・コロッケがついている。 まずは、ビール。 もちろんサッポロの赤星だ。 暑い季節にぴったりのテイスト。 さわやかな苦みが、舌の奥をキュッと引きしめてくれる。 アジのたたき丼が出てきたので、まずは醤油も何もつけずに味わう。 淡々(あわあわ)とした魚のうま味が口の中にふわっと広がる。 新鮮な魚ならではの、透きとおった味わい。 * * * これは、日本酒に合わせたい。 店には神奈川の酒を置いてあるという。 さっそく出してくれたのは、「隆(りゅう)」という純米吟醸酒。 丹沢山系の水をつかい、米は美山錦。 2025年度醸造の生酒。槽(ふね)しぼり。 足柄上郡山北町の川西屋酒造店の逸品で、稀少な銘柄だという。 発酵を終えたもろみを酒袋に入れ、 ゆっくりと搾った無加熱処理の酒。 するするした飲みくち。 シュッと引き締まった舌ざわり。 雑味のない、クリアさ。 ドライな中に、ほのかに米のうま味を感じる。 フレッシュで淡麗な味わいは、獲れたてのアジのたたきにじつによく合う。 * * * つづいて、アジ・フライ。 さくっとした衣の中にあるアジは、まったく臭みがない。 小田原の海がそのまま魚になって、それを揚げました、という感じ。 いままで食べたアジ・フライの中で最上だ。 よい酒は水に似ていると言われるが、 よい魚の味も水に似ているのかもしれない。 感動したのは、初めて食べたアジ・コロッケ。 あたたかく朴訥としたジャガイモ。 アジの滑らかで控えめな風合が、絶妙のハーモニーを生みだしている。 「隆」はフライもコロッケもその味をうまく引き立てた。 * * * アジのたたき、揚げものたち、 そして、「隆」も「サッポロ赤星」も、それぞれ謙虚で品がいい。 決して「おれが、おれが」と声高に叫ばない。 背伸びをしない。ウソを言わない。 近年、日本でも世界でも、間違った自己主張や権威をかさに着た空威張りなど、 誠実さと遠く隔たったものを見せられつづけている。 この店のカウンターに立つ女性たちは、目の回るほどの忙しさなのに、 自然な笑みを浮かべている。 客も「ごちそうさま!」と礼儀正しく挨拶して帰っていく。 当たり前が、あたりまえとして、ここにある。 小田原の魚と酒、そして人は、職人(プロフェッショナル)的な直球勝負を、 ひたすらフツーにこなしている。 そんなスタンスがとても好きだ。 * * * 自宅からこんな近くに、 あかるい海と空があるのだ。 きれいな風が吹いているのだ。 小田原のアジが教えてくれた。 文&写真:吉村喜彦 東海酒吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。このライターの記事をもっと読む
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