小田原・アジな旅   文&写真:吉村喜彦

 初夏の一日、小田原に遊んだ。
 新幹線をつかえば、東京の自宅から1時間ほどの距離だ。

 東海道線で小田原の次、早川駅で降りると、 
 すぐ近くに漁港と小田原市漁協がある。

 拙著『漁師になろうよ』の取材時に、
 こちらの漁協で漁師カッパの上下を買い、
 米神(こめかみ)の巨大定置網での漁に同行させてもらった。

 そのときインタビューした漁師は、
 いま定置漁の漁労長をされている。

 たしか、2000年の初冬だった。
 漆黒の闇につつまれた午前一時半に港を出発。
 夜明け前に港にもどり、
 漁師がつくってくれた魚料理を食べさせてもらったが、
 その美味しさが忘れられなかった。

 小田原の魚はうまい、という定式がこのときでき上がり、
 東京の慌ただしいリズムに疲れると、
 この浜に、ふっと息抜きに向かうのだ。

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 通りをみどりの風が吹きすぎていく。
 梅雨入り前の小田原は明るい陽光にあふれていた。

 漁港の周りにはたくさんの食堂がある。
 そのうちの一軒「やまや」に入った。

 ぼくの小説『江戸酒おとこ』の舞台となった
 浅草の酒蔵「山屋」と同じ名前である。
 何かご縁があるに違いない。

 暖簾をくぐって、店に入る。
 カウンターのみの小さな店は、女性4人で切り盛りしていた。

 オーダーしたのは「鯵セット2200円」。
 アジのたたき丼に、アジ・フライ2枚、アジ・コロッケがついている。

 まずは、ビール。
 もちろんサッポロの赤星だ。
 暑い季節にぴったりのテイスト。
 さわやかな苦みが、舌の奥をキュッと引きしめてくれる。

 アジのたたき丼が出てきたので、まずは醤油も何もつけずに味わう。

 淡々(あわあわ)とした魚のうま味が口の中にふわっと広がる。
 新鮮な魚ならではの、透きとおった味わい。

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 これは、日本酒に合わせたい。
 店には神奈川の酒を置いてあるという。

 さっそく出してくれたのは、「隆(りゅう)」という純米吟醸酒。

 丹沢山系の水をつかい、米は美山錦。
 2025年度醸造の生酒。槽(ふね)しぼり。

 足柄上郡山北町の川西屋酒造店の逸品で、稀少な銘柄だという。

 発酵を終えたもろみを酒袋に入れ、
 ゆっくりと搾った無加熱処理の酒。

 するするした飲みくち。
 シュッと引き締まった舌ざわり。
 雑味のない、クリアさ。
 ドライな中に、ほのかに米のうま味を感じる。

 フレッシュで淡麗な味わいは、獲れたてのアジのたたきにじつによく合う。

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 つづいて、アジ・フライ。
 さくっとした衣の中にあるアジは、まったく臭みがない。
 小田原の海がそのまま魚になって、それを揚げました、という感じ。

 いままで食べたアジ・フライの中で最上だ。

 よい酒は水に似ていると言われるが、
 よい魚の味も水に似ているのかもしれない。
 
 感動したのは、初めて食べたアジ・コロッケ。
 あたたかく朴訥としたジャガイモ。
 アジの滑らかで控えめな風合が、絶妙のハーモニーを生みだしている。

 「隆」はフライもコロッケもその味をうまく引き立てた。

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 アジのたたき、揚げものたち、
 そして、「隆」も「サッポロ赤星」も、それぞれ謙虚で品がいい。
 決して「おれが、おれが」と声高に叫ばない。
 背伸びをしない。ウソを言わない。

 近年、日本でも世界でも、間違った自己主張や権威をかさに着た空威張りなど、
 誠実さと遠く隔たったものを見せられつづけている。
 
 この店のカウンターに立つ女性たちは、目の回るほどの忙しさなのに、
 自然な笑みを浮かべている。
 客も「ごちそうさま!」と礼儀正しく挨拶して帰っていく。

 当たり前が、あたりまえとして、ここにある。

 小田原の魚と酒、そして人は、職人(プロフェッショナル)的な直球勝負を、
 ひたすらフツーにこなしている。
 そんなスタンスがとても好きだ。

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 自宅からこんな近くに、
 あかるい海と空があるのだ。
 きれいな風が吹いているのだ。

 小田原のアジが教えてくれた。

 文&写真:吉村喜彦

  • 吉村 喜彦(よしむら のぶひこ)

    1954年大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。 著書に、小説『バー堂島』『バー・リバーサイド』『二子玉川物語』『酒の神さま』(ハルキ文庫) 『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)『ウイスキー・ボーイ』(PHP文芸文庫) ノンフィクションでは、『漁師になろうよ』『リキュール&スピリッツ通の本』(ともに小学館) 『マスター。ウイスキーください〜日本列島バーの旅』(コモンズ)『オキナワ海人日和』(三省堂) 『食べる、飲む、聞く 〜沖縄・美味の島』(光文社新書)『ヤポネシアちゃんぷるー』(アスペクト)など多数。 NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅」の構成・選曲・DJを長年つとめた。 現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を連載中。

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